Dr.純子のメディカルサロン

「コミュニケーションスキルを磨く」 澤祥幸 岐阜市民病院診療局長

 海原 どんな学生時代でしたか?

  地方大学でしたので、ひたすらサークル活動をしていました。家庭教師をしながら、硬式テニスとセツルメント(貧困地区などに居住し、日常生活を通じて住民の生活改善を図る社会活動)に入部しました。

 セツルメント活動では、今の方はご存知ないと思いますが、当時岐阜県には無医村が多くあり、へき地医療をどうするか、自分たちで何ができるか毎週討論し、休みにはフィールドワークで無医地区をまわって血圧測定や健康相談をしていました。

 何しろ純粋でしたね。興味を持つと何でも自分で試してみたくなる学生でした。在学中には、先輩とフォークソング部を立ち上げて、時には曲を書いたりしていました。この頃にマイコン(今で言うパソコン)がはやりだして、マイコンクラブをつくってコンピューターが置いてある基礎教室に入り浸っていました。

 当然、学生の本分である勉強がおろそかになり、人生で何度目かの“落ち目”を経験しました。それでも「失うものは大してないんじゃないか」と価値観を切り替えたので、あまりめげませんでした。

 海原 仕事で苦労なさったことは?

  コミュニケーションスキルと語学(英語力)です。当時の大学では、どの大学にもコミュニケーションスキルのカリキュラムは用意されておらず、いろんな患者さんやスタッフとの関わりの中で経験を積んでいきました。

 当然、良い経験を積んだ医師と、ネガティブな経験しか積まなかった医師では、その後の診療スタイルに大きな差ができます。

 呼吸器疾患や固形がんは治癒可能な治療が限られていて、「治らない治療」をせざるを得ないため患者さんや家族からのクレームも多かったように記憶しています。

 コミュニケーションスキルの重要性を教えてくれたのは、米国のがん患者支援団体代表のキャロライン・オーディジェでした。腫瘍医にとってまず身につけてほしいことは手術の腕でも最先端の知識でもなく、コミュニケーションスキルであると。

 ところが、日本ではともかく、世界のサバイバーとは語学力がなくてはスキルを生かせないのです。いまだに、国際的な患者支援活動では英語ができないために苦労しています。

セツルメント活動中の澤氏(右から2人目)

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