「医」の最前線 乳がんを書く

治療を乗り越えるために必要なもの
~仕事とクラシックバレエ~ (医療ジャーナリスト 中山あゆみ)【第11回】

 がんの治療には標準治療があり、ガイドラインがある。しかし、ガイドラインには含まれない重要な要素が生活の質(QOL)だ。がんは放置すれば死に至る病だから、まずは治して死なないようにすることが最優先となるが、治っても本人が幸せでなければ意味がない。

スーツを脱いでオンラインレッスンに参加=出張先の香川県高松市で

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 私の闘病生活を支えてきた大切な要素の第一は仕事だ。これまでも、何があっても仕事は手放さずにきたから、今回も予定していた仕事はすべて行ってきた。今や闘病をしながら働くのは、ごく当たり前になってきている。主治医からも、仕事はデスクワークならすぐに復帰できるし、出張も重たい荷物を持たないよう気を付ければ問題ないというお墨付きをもらっていた。実際、退院したその日から仕事だったし、出掛けるときはトロリーケースを引きずって行った。

 近年、こんな働き方は、はやらない。しかし、私は休むのが苦手で、むしろ忙しく働いている方が元気でいられる。何もかも忘れて没頭できる仕事があるのはありがたいことで、これまでどれだけ仕事に救われてきたか分からない。これは、私が長年フリーランスで休みが取れない立場で働いてきたからで、状況は人それぞれだろう。

 実のところ、忙しくしていないと、いろいろなことを考えてしまい、不安になる。その不安と向き合う勇気がないから、ひたすら動いているのかもしれない。

 仕事がストレスだという人も少なくないし、休みが取れるなら遠慮なく休めばいい。元気になってから、いくらでも恩返しはできる。身体がつらいときは周囲に甘えることも大切だ。

 ◇解剖学からのめり込む

 仕事一筋で生きてきた私が、人生の後半で見つけたもう一つの生きがいが、クラシックバレエだ。これが、がんの闘病に大きな影響を与えることになる。

 近年、大人からバレエを始める人が急激に増えており、私が通うスタジオには、70代になってから始めたという人もいる。最初は肥満解消のために軽い気持ちで始めたのだが、周囲の熱心な友人たちに影響され、いつの間にか、トーシューズを履いて踊るようになってしまった。うっかり発表会などに出たものだから、後に引けなくなった。DVDに克明に映し出された自分の姿にショックを受け、「次こそは」とリベンジを誓うと、もう止まらない。そうやって、深みにはまっていく人は意外に多い。

 クラシックバレエの動きは想像を絶するほど難しく、脚を開くには、どの筋肉がどのように働けば良いのか、正しい姿勢を保つには骨格をどのように並べたら良いのかなど、解剖学の知識が仕事の分野にかぶることからのめり込んでいった。

 大人過ぎる大人から始めたバレエでも、きちんとした指導を受けると、それなりに上達していく。がん告知を受けた日も、その足でレッスンに行った。すると、苦手だったトーシューズでの回転技が左右ともきれいに決まり、がん告知のショックより、その喜びの方が上回ったほどだ。家でも仕事の合間を見てはトレーニングに励み、最初はあきれていた家族も次第に応援してくれるようになっていた。

 地道に続けていくと、猫背だった姿勢が真っすぐになり、「年齢と共に背が低くなっていくはずなのに、逆に高くなったみたい」と周囲から言われるようになった。ジャンプの負荷で骨が強くなり、骨量は実年齢よりかなり多い。体重はみるみる落ちて、15キロ減。重たい身体ではトーシューズで立てない。それに、スタジオはどこを向いても鏡だらけ。そこに自分の太った姿が映る。痩せた人が多い中で、いたたまれない気持ちになり、間食を減らし、食事内容も見直した。痩せたければ、痩せた人と行動を共にすると良い。

 ◇自分にとっての価値

 がんが見つかったのは、3カ月後に予定していた発表会に向けて練習に励んでいる最中だった。たかが大人の趣味であり、次回にすれば済む話だ。しかし、このとき持病の肺アブセッサス症(非結核性抗酸菌症の一つで、人には感染しない結核に似た病気)が悪化して、「このままでは肺がもたない」と呼吸器内科の医師から言われていた。その舞台はラストステージになるかもしれなかった。

 がんの主治医が最も勧めてくれた治療法は、乳房全摘手術をして、同時に再建をする方法だった。しこりの大きさからすると、温存手術が最適と思われたが、手術後に放射線治療をすると、肺への影響が心配だった。もしも、それで肺炎を起こし、重症化したら、がんが治っても以前の元気な体には戻れない。しかし、全摘して再建すると、最低でも1カ月間、激しい運動はできなくなる。もちろん、標準治療を外れるほど無理な選択はしないが、私は最短で復帰できる方法を望んだ。

 「あなたが世界的なバレリーナで、一世一代の大舞台というなら分かるけど、それで治療方針を決めるっていうのは、どうかな」。主治医の言うことは、極めてまっとうだった。

 「そうですよね」と納得して、いったんは診察室を出たものの、涙が止まらなくなり、大の大人が人目もはばからず、病院内を泣きながら歩いていた。

 どんなに拙い踊りでも、最後だからこそ自分のベストを尽くしたかった。コロナ禍にオンラインでもレッスンは続けてきたし、雨の日も毎日欠かさずに縄跳びを150回、二重跳び連続20回、回転左右100回ずつ、朝晩、時間が無い中で、筋トレにストレッチにと限界を超えるほど自分を追い込んできた。それを思うと、どうしても諦めきれなかった。最後にトイレの個室で思い切り泣くと、すとんと気持ちが落ち着いた。社会的に何の意味も無い素人の舞台でも、私の人生にはとても大切なものだということがはっきりした。

術後癒着をバレエで治す

術後癒着をバレエで治す

 ◇例えささやかな趣味でも

 涙を拭いて診察室に戻り、「治療方針が決まりました。温存手術にします。最短の日数で退院します。放射線をかけても大丈夫だと思います」と、すっきりした顔で伝えると、主治医も「そうですね、肺がんの人にだって放射線をかけるんだから」と私の選択を尊重してくれた。

 乳がんは早期発見であるほど治療の選択肢が多い。がんにかかったショック状態の中で、自分が納得できる治療法を選ぶのは、なかなかしんどいことだ。私は例えささやかな趣味でも、バレエという軸があったため選択に納得できた。

 入院前、「絶対に踊るんだと思って頑張って」とバレエの先生や仲間たちが送り出してくれ、先生が復帰した時に使うようにと、レッスン用のスカートとおそろいのマスクを手作りしてプレゼントしてくれた。それは、オレンジ色のグラデーションの入った、とてもステキなもので、「これを身に着けて、再びレッスンに行くんだ」と思うと、治療に立ち向かう勇気が湧いてきた。

 ◇バレエの動きで癒着を防ぐ

 手術後は、治療した側の腕が上がりにくくなる。私の場合、脇に近い場所にがんがあり、リンパ節転移もあったため、腕を上げようとすると激痛が走る。傷は修復する過程で周囲の組織とくっついて治っていくので、頑張っても一晩寝ると上がりにくくなる。腕が上がらなくなることは、趣味の草バレエダンサーにとっても致命的だ。

 片腕が上がらなくても、よほど高い場所の物を取ろうとしなければ日常生活は送れる。泣きながら頑張ってリハビリしたという知人もいるが、一人で続けるのにはかなりの精神力が要る。実際のところ、腕が上がらないまま固まってしまう人も多いようだ。

 バレエのレッスン中、つらい顔になると、「痛くても動かして。顔に出さないで。舞台ではそんな顔できないでしょう」と先生から檄(げき)が飛ぶ。そして、痛みに意識がいかないように、音楽に合わせてステップをしながら腕を上げる方法を考えてくれた。手と脚を同時に動かすコーディネーションは、パターンが少し変わっただけで難しくなる。必死になって脚の動きに気を取られているうちに、脇の痛みを忘れて腕を動かせるようになっていった。

 先に手術を受けていた知人は、マイケル・ジャクソンの曲を片っ端から踊って、自分を鼓舞しながらリハビリしたそうだ。ダンスの動きを利用して、音楽に合わせて腕を動かすリハビリ方法は、きっと多くの人の術後癒着防止に役に立つと思う。出張先でもオンラインでレッスンを受け続けたせいか、完全ではないが両腕を上げたときの長さに左右差がない状態まで回復している。(了)


中山あゆみ

中山あゆみ

 【中山あゆみ】

 ジャーナリスト。明治大学卒業後、医療関係の新聞社で、医療行政、地域医療等の取材に携わったのち、フリーに。新聞、雑誌、Webに医学、医療、健康問題に関する解説記事やルポルタージュ、人物インタビューなど幅広い内容の記事を執筆している。

 時事メディカルに連載した「一流に学ぶ」シリーズのうち、『難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏(第4回・5回)』が、平成30年度獨協大学医学部入学試験の小論文試験問題に採用される。著書に『病院で死なないという選択』(集英社新書)などがある。医学ジャーナリスト協会会員。

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