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伯母は認知症になっていた 第49回

 ◇守秘義務

 伯母が生活保護を受けていることも分かった。担当のケースワーカーを教えてもらい電話を入れた。
ケースワーカーは「電話では…」と、事情を一切教えてくれなかった。山口さんは、来週には出向きたいと告げた。「おいごさんだと証明できるものを持って来てください」。なるほど、これが公務員の守秘義務かと山口さんは思った。

 透析が終わった頃、山口さんは伯母に電話をした。会話はちぐはぐだった。

 友昭だと名乗っても、「あんた誰なの? 友昭は死んだ」と伯母は言った。

 ◇神戸へ

 翌週、山口さんは神戸駅に降りた。認知症になった伯母を訪ねる旅だった。

 山口さんには福祉職の友人がいて、東京をたつ前に相談を持ち掛けてみた。

 「そりゃ、飛んで火に入る夏の虫かもな」

 突然現れた身内だから、キーパーソン(利用者側の責任者)に仕立て上げられるだろうというのだ。

 「で、俺はどうすればいいんだ」と問えば、「逆にどうしたいんだ」と切り返された。

 「何がどうなっているのか、分からないんだよ」

 「じゃあ、まずケースワーカーに、事の経緯を聞くことだろうな」

 ◇事の経緯

 山口さんは友人の言葉に従い、ケースワーカーに会うことにした。身元を証明できる戸籍謄本も持参した。

 初めての福祉事務所。窓口では誰かが金切り声を上げ、職員を罵倒していた。

 案内されたのは、パーテーションで仕切られた狭苦しい場所だった。担当のケースワーカーは若かった。スーツの袖が擦り切れていた。身元の確認の後、経緯の説明が始まった。

 それによると、1年前までは伯母は団地で暮らしていた。山口さんが学生時代に休みのたびに訪ねた垂水区の団地だった。

 団地に住みながら、伯母は介護保険を利用し、ヘルパーの介助で透析のために週3回通院していた。デイサービスも利用していた。

 やがて、認知症が現れ、足腰も弱ってきたため、垂水区の病院に入院することになった。伯母は「帰りたい」と叫び続けていたようだ。扱いに困った病院は、北区の病院に転院させた。

 「追い出されたのでしょうか?」と尋ねてみたが、直接の答えはなく、「今は落ち着いています」と言うだけだった。

 その後、幾つかのやりとりがあり、生活保護はこのまま継続できることになった。山口さんは、ほっと胸をなで下ろした。

 ◇伯母との面会

 次がヤマ場だ。伯母に会うのが怖い。入院先の病院はかなりの奥地にあり、到着は夜の7時を過ぎていた。

 看護師の詰め所を訪ねると、「先生がお待ちですよ」と迎えられた。主治医は山口さんを待っていた。

 「一度胃から血を吐かれましてね。その時は、私たちも慌てました」と語る主治医の言葉からは、誠実さがにじみ出ていた。

 「血管がボロボロになっているので、今後は、脳梗塞脳出血、心筋梗塞の出現も十分に考えられます」
主治医は続けた。

 「私たちは、最期までお世話をさせていただきたいと考えています。よろしいでしょうか?」

 その言葉に、山口さんは一気に肩の力が抜け、「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。

 そして、伯母の病室。

 「伯母さん、元気?」

 「ああ、友昭かい。どうしたんね」

 伯母は自分を覚えていた。山口さんは、東京駅に近接するデパートで買ってきたストールを肩にかけてあげた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。

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