ダイバーシティ(多様性) 障害を持っても華やかに

聴覚障害児の置かれている環境について
~9割以上は聞こえる親、困難な言葉の習得~ (ソニー出身、デフサポ代表取締役 牧野友香子)【第10回】

 ▼聴覚障害児は毎年どのくらい生まれているか知っていますか?

 実は、聴覚障害児は世界中どこででも、1000人に1人の割合で生まれてきます。

 また、これは先天性の場合であって、後から中途失聴・難聴になる人もいれば、加齢でなる人もいます。

 なので、難聴を持ちながら生活をしている人は日本では約34万人と言われています。こんなに多い障害にもかかわらず、意外と正しい情報を知られていないなと思うことがよくあります。

 きょうは”聴覚障害児”にフォーカスして話をしていきたいと思います。

 ▼実は聞こえない子を産む親の90%以上が聞こえる親?

 聴覚障害の原因にはさまざまなものがあるのですが、9割以上は聞こえる親御さんから生まれてきます。本当に皆さんと同じように普通に生活をしてきて、結婚して出産したら”たまたま”子供が聞こえなかった!という親御さんが多いんですね。

 なので、わが子が聞こえないと知って、どうやって言葉を教えたらいいのか、どんなふうに育てたらいいのか、そしてロールモデルに出会えないことから子供の将来へのイメージが湧かず、悩む方が大変多くいます。

 ちなみに、現在は難聴を早期発見することができるようになっています。

 新生児聴覚スクリーニングという検査があり、生後3日ごろで難聴の疑いが判明します。その後1~2カ月後に精密検査となっています。出産を終え、生まれたばかりの子どもがいきなり難聴と言われた親御さんのショックは計り知れません。

 ここで大事になってくるのは、生まれてすぐ難聴が分かる親御さんへのメンタルフォローに加え、さまざまな情報提供と、専門機関がしっかり機能することになります。

 ▼専門的な療育機関はあるが、専門家が少ない

 聴覚障害児の教育を行う所は主に児童発達支援センター、特別支援学校(ろう学校)、病院の三つになります。その中でも専門性を高く持っている人は限られています。

 デフサポを始めてから知ったのが、専門家の知識に相当の差があるということです。しかも、高度な教育を行うにもかかわらず、給与的にも見合っていません(海外と比較しても額が倍ほど異なるケースもざらにあります)。

 基本になる聴力検査一つをとっても、正しく行えている方はかなり少ないですし、言語指導もやっていません、もしくは人員が足りずできません、という病院のほうが多いくらいです。

 また、補聴器人工内耳といった機械が昔に比べ格段に発達しています。それに伴い、技術的な勉強が必要になってきたり、共働き、核家族化など家族のライフスタイルも大きく変わってきたりしていますが、時代の進化とスピードに対応できている療育機関は、まだそう多くはありません。
加えて、現在は、ろう学校に通う子供の倍近くが地域の学校に通っています。

 そういった行政の仕組みでは、サポートしきれていない部分をデフサポではフォローしています。そして、ちょうど行政の動きも変わっていこうとしているのでこれからに期待しています!

 ▼聴覚障害者のコミュニケーション=手話とは限らない!

 聴覚障害者のコミュニケーションと聞いて思い浮かべるのは「手話」ではないでしょうか。実は、現在では、多くの聴覚障害児が早期に人工内耳補聴器を入れ、聴覚活用のできる子が増えています。

 ただ、注意してほしいのが、あくまでも「障害」と言われるくらいですから、聴覚活用をしても聞こえ方は「聞こえる人と同等」にはなりません。それでも、技術の進化でハッキリした話し方をする人とは電話ができたり、日本語だけではなく、英語など第二言語も話せたりするような難聴児が増えています。

 なお、聴覚障害者全体でも手話が使える人と、手話をメインとして使う人を合わせても18%と言われています。ちなみに私は重度の難聴ということもあって「手話が使えるんでしょう?」と言われることが多かったのですが、実は、これまで地域の一般校で過ごしてきていたこともあって、手話に触れたり、覚えたりする機会が全くありませんでした。

 29歳になって、デフサポを立ち上げ、聴覚障害児に出会うようになって初めて、手話を覚え始めたところです。

 ▼聞こえない人に会ったことはありますか?

 実は、私はこれまでずっと一般校で育っているのですが、会う人、会う人みんな「難聴者に会ったのが初めて〜!」という感じで、なかなか一般的に、聴覚障害者に会う機会が無いのかなと感じています。私自身、地域の学校で過ごしていて、自分以外の聞こえない人に出会ったことはありません。

 どうしても同じ障害としてひとくくりにしがちですが、聴覚障害者でも、聞こえ方は全く違います。ちょっと耳が遠い…くらいの人から、全く聞こえない人、人工内耳を使うことで、全く聞こえなかったけれど聴覚活用ができる人などさまざまです。そして、もちろんコミュニケーション方法もそれぞれ異なってきます。

 例えば、私は読唇術が得意な方だなと思いますが、みんながみんな読唇術で会話をするわけではありません。残存聴力を使う人もいれば、手話を使う人もいるので、ひと口に聴覚障害者と言っても人それぞれなんだな、と心に留めていただけるとうれしいです。

 ▼聞こえないと何が一番大変だと思いますか?

 会話ができないこと?

 役所や病院で呼ばれても気が付かないこと?

 電話ができないこと?

 インターホンが聞こえないこと?

 クラクションが聞こえないこと?

 災害のときに逃げ遅れてしまうこと?

 どれも大変なことです。そのどれらに対してもフォロー体制をつくったり、技術の恩恵を受けたりしたいところですが、実は…それら以上に大変なことがあります。聴覚障害児を育てるに当たって一番大切な「ことばの習得」が課題となっています。

 ▼耳が聞こえないと言葉の習得が大変

 聞こえる皆さんは、耳から言葉を聞いて自然とさまざまな言葉を覚えていきます。

 「どうやって日本語を覚えたの?」と聞いても「いつのまにか覚えていた」となる人が大半ではないでしょうか。

 例えば、日本語の文法などって、いちいち、これは主語だから「が」を付けるのが合ってて…なんて考えずに話しているでしょう。無意識にさまざまな使い方を知って、何気なく使っていると思います。しかし、耳が聞こえないというのは、そういった言葉が入ってこないということです。

 なので、言葉の習得につまずきやすくなってしまいます。そうすると言葉で物事を考えることが難しくなり、深く考えられない・・・といった問題が起きます。

 ▼では、わかりやすく話してあげればいい?実はそんなに簡単じゃない・・・

 ここで出てくる大きな問題があります。それは、第一言語を何にするか?という問題です。

 大きく2パターンがあります。

 ①日本語(音声日本語)を第一言語とする場合

 両親は日本語が母語のことが多く、育つ環境で使われる言葉も日本語なので、日本語の環境は潤沢にあります。ただし、耳が聞こえない子供には100%の音が伝わるわけではないので、どうしてもさまざまな言葉が漏れてしまいます。

 そのため、親御さんから聴覚障害児への声掛けを増やすなど、家庭での頑張りが必須になります。加えて、幼少期に療育や家庭での頑張りで日本語を獲得できたとしても、その後の「コミュニケーション」など、対人関係でつまずいてしまう子もそれなりにいます。日本語が理解できていても、学校に入ってもお友達と会話ができない・・・そういった孤独を感じることもあります。

 ②手話(日本手話)を第一言語とする場合

 ※手話には、日本手話(一つの言語であり独自の文法を持っている)と、日本語対応手話(日本語の文法そのままで単語に手話を当てはめている)の2種類がありますが、こちらでは前者の日本手話を手話と記載します。

 手話を第一言語にした場合、多くの両親が聴覚障害児が生まれてから初めて手話を勉強することになります。例えばフランス語などを産後に慌てて覚えて話しかけたとして、自分の語り掛けが自然なものになるか?と考えると難しいですよね。手話も同じで、第一言語レベルでの声掛けが難しいことが多くなります。

 また、こちらの日本手話による授業を全教育課程で行っているのは日本全国で1校しかなく、親御さんが学べる場所もほぼありません。そうなると、結果的に日本手話での子育てを希望しても、住む地域や親の言語レベルでは環境が整っておらず、現実的に難しい部分があります。

 聴覚障害児の場合、こちらの①②という問題点が大きく、第一言語が確立されないと、思考力などが育ちません。なので、この第一言語をどう獲得するか?というのが聴覚障害児を育てる上で大切なポイントになります。

 ▼最後に

 きょうは堅い内容でしたが、聴覚障害児の置かれている環境の厳しさを知ってもらえたらと思います。そして何気なく習得して日々使っている「言葉」について興味を持っていただけるとうれしいです。
聴覚障害児医療・教育環境の実態等に関する調査の結果については、弊社でまとめておりますので、ぜひご覧ください。(了)

牧野友香子さん

牧野友香子さん

 ▼牧野友香子(まきのゆかこ)さん略歴

 株式会社デフサポ 代表取締役

 生まれつき重度の聴覚障害があり、読唇術で相手の言うことを理解する。

 幼少期にすごく良いことばの先生に出会えたことでことばを獲得し、幼稚園から中学まで一般校に通い、聴者とともに育つ。

 大阪府立天王寺高等学校から神戸大学に進学し、一般採用でソニー株式会社に入社。

 人事で7年間勤務。主に労務を担当し、並行してダイバーシティの新卒採用にも携わる。

 第1子が50万人に1人の難病かつ障害児だったことをきっかけに、療育や将来の選択肢の少なさを改めて実感し、2017年にデフサポを立ち上げ、2018年3月にソニーを退職し、聴覚障害児の支援に専念。デフサポでは聴覚障害児の親への情報提供、ことばの教育、就労支援を中心に実施。

 2020年より多くの人に難聴に興味を持ってもらいたい!とYouTubeでデフサポちゃんねるをスタートする。

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