ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

ある日突然、歩けなくなった私
~車椅子から見えた「見えない壁」~ 【第1回】

 はじめまして!車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 突然、車椅子インフルエンサーと言われても「何者?」と思いますよね。 インフルエンサーとは人に影響を与える人。私は25年前から車椅子生活をしていますが、大多数の方々が持つ「車椅子」や「障害者」のイメージを変え、もっと明るくポジティブで身近な存在として感じてもらいたいと思い、3年前から「車椅子インフルエンサー」と自ら名乗って、YouTubeやSNS、テレビなどを通して発信活動を行っています。

中嶋涼子さん

中嶋涼子さん

 ◇9歳までは「健常者」

 私は9歳までは「健常者」でした。運動が大好きで、特技は一輪車と竹馬とけん玉という、昭和感満載の普通の女子。テニスとバレエを習っていて、将来はテニスプレーヤーになりたい、という漠然とした夢を抱えて日々を過ごしていました。

 小学3年の冬。風邪をひき、その風邪が治った1週間後、いつも通り学校へ行き、いつも通り休み時間に友達と鉄棒をした時のことです。鉄棒から降りた瞬間、突然足に力が入らなくなりました。

 おぼつかない足取りで友達に抱えられながら保健室に向かいます。保健室で10分ほど休み、次の授業に向かおうとして立ち上がろうとした時、私の足はもう動かなくなっていました。

 三つの病院を転々としましたが、はっきりとした原因は分かりませんでした。風邪をひいた時にウイルスが脊髄に侵入して炎症を起こしたか、鉄棒から降りた瞬間の衝撃で脊髄損傷を起こしたのかもしれないと言われました。今も原因は分かっていませんが、脊髄の炎症により神経障害が起こる「横断性脊髄炎」と診断されています。

 私は金髪で顔立ちもはっきりしているので、よく「バイク事故ですか?」と聞かれるのですが、不良だったわけでもヤンキーだったわけでもなく、いたって真面目な学生でした。まれに見るケースで車椅子生活が始まったタイプの車椅子ユーザーなのです。

9歳の時の中嶋さん(左端)。休みの日はいつも近所の友達と外で遊んでいた

9歳の時の中嶋さん(左端)。休みの日はいつも近所の友達と外で遊んでいた

 車椅子の世界

 入院中は、周りがみんな病人だったので何も感じていなかったのですが、初めて車椅子で外出した時、自分の足で歩いていた時とは全く違う世界を経験しました。

 今まで一人で行けた階段のある場所や狭い場所には一人で行けないし、街なかにもちょっとした段差や坂があり、車椅子で移動すると、歩いていた時の何倍もエネルギーを使うことに気付かされました。

 環境(ハード) 面のバリアーもさることながら、私の中で一番つらかったのは人の視線です。車椅子に乗っていると、街なかで少し目立ってしまうため、さまざまな人がチラチラこっちを見てきます。

 当時の私は、まだ障害者になった自分自身を受け入れられておらず、車椅子に乗っている自分をカッコ悪い、恥ずかしいと思っていました。そのため、人が私を見るたびに、みんな私をカッコ悪い、かわいそうという目で見ていると勝手に決めつけ、自ら壁を作って引きこもりになってしまいました。

車椅子ユーザーの思いを発信

車椅子ユーザーの思いを発信

 コロナ禍との共通点

 ある日突然歩けなくなり、障害者となってしまった事実を受け入れなければいけない、前向きに考えないと生きていけない状況は、新型コロナウイルスに侵食され、今まで通りの生活が急にできなくなってしまった現在の社会情勢と、どこか似たものを感じます。

 今は日本中、世界中の人々が未曽有の事態に戸惑い、絶望しながらも、新たな暮らし方、働き方を探っています。オンライン会議や在宅勤務が増えたのは、車椅子ユーザーの私にはとてもうれしいことでした。

 なぜなら、通勤ラッシュ時に車椅子で電車やバスを利用すると、迷惑がられたり、人ごみの中を遠いエレベーターまで移動しなければならなかったりと、普通の倍以上のエネルギーが必要だからです。これまで、リモートワークはメジャーではなかったけれど、多くの人々が不便を感じれば、社会のルールは変わっていくのだと改めて感じます。

 しかし、コロナが収束すれば、つらい日々のことは忘れ去られ、制約の中で何ができるかを考える努力もしなくなっていくのだろうとも思います。私自身、去年、大腿(だいたい)部を骨折して2週間寝たきりになった時には、車椅子に乗っていても日常生活を一人で送ることができていたのは、すごいことだったのだと思いましたが、完治した今、入院中のつらさや制限された生活の苦しみを忘れかけています。

 コロナ禍に巻き込まれている今の社会と私の車椅子生活には、人間の心理としてのそんな共通点も感じずにはいられません。だからこそ、車椅子ユーザーとしても、コロナ禍に巻き込まれた社会の一員としても、今感じていることを発信し続けることが必要だと感じています。私が発信して人々に知ってもらうことで解決できることがあるかもしれない。もっと情報を提供し合うことができるかもしれない。誰かの心や後世に、思いを伝え残すことができるかもしれないと思うからです。

車椅子の仲間と「Beyond Girls 」を結成

車椅子の仲間と「Beyond Girls 」を結成

 ◇壁を壊したい

 9歳で突然歩けなくなった私は、日本の社会に対して「どうしてこんなに障害者が生きづらい国なんだ!」「日本人はどうしてこんなに冷たいんだ!」と、怒りばかりが先行していました。「社会が悪い、そんな社会を私が変えるなんて無理。誰かがどうにかしてくれるはず。今はそんな社会で生きるしかない」と、惰性で生きていたのです。

 そんな私を絶望から救ってくれたのは、映画や人との出会いです。そして、米国留学という大きな一歩を踏み出すことで、さらに視野が広がり、考え方も変わりました。

 今では、街に出て人目を感じても、「みんな私を見ている!」と芸能人になったような気持ちで受け流せるまでになりました。車椅子になったばかりの25年前の私に、もし今の私を見せることができたら、その成長ぶりにさぞかし驚くことでしょう。

 障害者として生きている自分が、どんなことに困っていて、どんなことをしてほしいか、どうすればみんなが生きやすくなるかを伝えることで、もしかしたら人の心が変わるかもしれない。そして、人の心が変われば社会が変わっていくと信じています。むしろ、障害者として25年間生きてきた自分にしか伝えられないことを伝えることで、障害者と健常者の間にある見えない壁を壊していきたい。そう思って、2018年に会社員を辞めて車椅子インフルエンサーになりました。(了)

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」





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