ダイバーシティ(多様性) Life on Wheels ~車椅子から見た世界~

米国で体感した「心のバリアフリー」
~もう一つの運命の出来事~ 【第5回】

 こんにちは。車椅子インフルエンサーの中嶋涼子です。

 映画「タイタニック」に出合って引きこもりを克服し、前向きに生きる希望を見いだした小学5年生の時から、私は「ハリウッドで映画に携わる仕事をする」という明確な夢を持つようになりました。夢に向かって、毎日ハリウッド映画を見て、洋楽を聴いて英語を覚えました。大人になった今、あの頃の気持ちを忘れてしまっている時があります。そんな時は「タイタニック」を見て、周りに惑わされず、ただ純粋に自分の目標に向かって頑張る気持ちを思い出すようにしています。

「タイタニック」を見て将来は映画に携わりたいと思うように

 ◇初めてのアメリカ

 ハリウッドで映画の仕事をするために必要なことは何かと考えて、単純に出てきた答えは、アメリカ留学でした。「タイタニック」に魅了されてから、私はすぐにでもアメリカに行きたかった。アメリカの文化に溶け込んでみたかった。両親にも相談しましたが、義務教育だけは日本で終わらせてから行った方がいいというアドバイスを守り、高校卒業までは日本で過ごすことになりました。

 アメリカに留学をしたいといっても、実際に行ってみないと合わないかもしれないから、一度行ってみよう、ということになり、中学1年生の夏休みにハワイを訪れました。父はいつも通り家で留守番。母と兄と3人で人生で初めての海外旅行でした。このハワイ旅行で、私は「タイタニック」との出合いと同じくらいの運命の出来事を経験したのです。

 ◇心のバリアフリー

 ハワイに着いて早々、街に出てみると、すれ違う外国人と目が合うたびに「Hi!」「How are you?」と笑顔であいさつされました。街なかで人と目が合っても、目をそらす日本の習慣が当たり前だと思っていた私は衝撃を受けました。

ハワイ旅行で自分の居場所を見つけた

 日本で車椅子に乗って街に出ると、とても目立つので、いろいろな人からの視線を感じます。でも目が合うと、すぐ視線をそらされる。その感覚が、すごく気まずくて嫌いだった私は、目が合ったら笑顔であいさつしてくれるアメリカの習慣がとても心地よかった。

 それだけではありません。目が合ってあいさつされた時に、「なんで車椅子なの?」「その車椅子かっこいいね」「事故に遭ったの?」「あっちにエレベーターあるよ」「何か手伝おうか?」など、車椅子に関わるちょっとした言葉を掛けられることが、しょっちゅうありました。それも、すれ違う一瞬のあいさつ代わりに、とても自然に言ってくれるのです。

 初めはあいさつを返すのも緊張していたのに、ハワイ滞在中に、どんどんそんな環境に慣れてきて、気付けば目が合った人に自分から笑顔であいさつをしたり、手伝ってもらった外国人と自然に会話したりしている自分がいました。

 気付いたら、車椅子の自分が普通じゃないとか、マイノリティーだというネガティブな感覚を忘れて、とても心地よく外出できるようになっていました。

 「これが心のバリアフリーなんだ」。そう思いました。

目が合えば自然と会話できた

 ◇車椅子でも生きやすい環境

 環境をバリアフリーに変えること(段差を無くしたり、エレベーターを付けたりすること)よりも、人々が自然とお互いを助け合える関係が、社会に当たり前に存在しているこの環境が本当のバリアフリーなんだ。心のバリアフリーがあれば、こんなにも生きやすくなる。私の居場所はここにあると思いました。

 車椅子になってから初めて心地よく生きることができた場所でした。ハワイ旅行を経験して、アメリカ留学という私の夢は確固たるものになりました。

 バリアフリー大国と呼ばれるアメリカでは、心(ハート面)のバリアフリーだけでなく、環境面(ハード面)のバリアフリーも日本とは違いました。

 日本で外出する時に一番気を付けていることは、車椅子の導線はもちろんのこと、車椅子でも入れるトイレがどこにあるかということ。目的地の周辺に、どこに車椅子で入れるトイレがあるか事前に調べておかないと、トイレを探し回って、それだけで疲れてしまうということがたびたびあったからです。

 どこに行きたいかよりも、どこに行けるかを前提に街に出るのが当たり前だった私は、ハワイに来て、またもや驚きました。

 どこに行っても必ず車椅子で入れる導線がある。段差があっても絶対どこかにスロープがあってお店に入れる。階段がある場所にはエレベーターがある。どこのトイレにも必ず車椅子で入れる大きさの、手すりの付いたトイレが一つ以上ある。日本にある多目的トイレのような特別なトイレではなく、男女別のトイレスペースの中に必ず車椅子でも入れるトイレが備わっている。どこにでも気にせず行くことができ、健常者と同じ生活ができたのです。

浜辺にもスロープがあり、水の中へ行きやすい

 ◇諦めなくていい

 映画館に行ったら、いろいろな所に広めのスペースがあって、好きな場所を選んで車椅子を止めることができました。日本の映画館では一番前や後ろに1、2席だけ車椅子用スペースがあり、そこに案内される。自分が見たい場所ではなく、決められた場所で見るのが当たり前だったけれど、アメリカでは見たい場所を選んで座ることができたのです。

 ビーチに行ったら海の中まで伸びるスロープがあり、車椅子になって初めて海に入ることもできました。

 バスに乗ろうとすると、運転手さんがスロープを出し、乗客もチームプレーのように自然と手伝ってくれます。日本では運転手さんがスロープを出すのに時間がかかるので、みんなを待たせている感覚がありました。迷惑そうな視線を感じたり、「早くしろよ」と怒られたりすることもあり、乗るのが怖くなっていたので、ハワイで初めてバスに乗ってみて、自然とみんなが手伝ってくれる空気感がすごくうれしかった。

 さまざまな場所が車椅子の人も使用可能に考えられている環境で、日本では諦めていたことを諦めなくてよかったのです。

 「ここでずっと暮らしていたら、自分がマイノリティーであることなんて、どうでもよくなる。というか、マイノリティーじゃないんだ」。そう思えました。「障害者であることを忘れてしまうくらい居心地の良いこの国に、私は将来住みたい」。心からそう思いました。そして一緒に旅行に行った母も同意見でした。留学が現実に近づいた出来事でした。

 「ハード面、ハート面、どちらにおいてもバリアフリーのあふれるこの国で、将来は映画の仕事をするんだ!アメリカ留学するんだ!」。中1の夏休みに、私の夢は確信へと変わりました。(了)


中嶋涼子さん

 ▼中嶋涼子(なかじま・りょうこ)さん略歴

 1986年生まれ。東京都大田区出身。9歳の時に突然歩けなくなり、原因不明のまま車椅子生活に。人生に希望を見いだせず、引きこもりになっていた時に、映画「タイタニック」に出合い、心を動かされる。以来、映画を通して世界中の文化や価値観に触れる中で、自分も映画を作って人々の心を動かせるようになりたいと夢を抱く。

 2005年に高校卒業後、米カリフォルニア州ロサンゼルスへ。語学学校、エルカミーノカレッジ(短大)を経て、08年、南カリフォルニア大学映画学部へ入学。11年に卒業し、翌年帰国。通訳・翻訳を経て、16年からFOXネットワークスにて映像エディターとして働く。17年12月に退社して車椅子インフルエンサーに転身。テレビ出演、YouTube制作、講演活動などを行い、「障害者の常識をぶち壊す」ことで、日本の社会や日本人の心をバリアフリーにしていけるよう発信し続けている。

中嶋涼子公式ウェブサイト

公式YouTubeチャンネル「中嶋涼子の車椅子ですがなにか!? Any Problems?」

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