認知症 認知症の人への視線を考える

「なったらおしまい」なのか (ジャーナリスト・佐賀由彦)【第4回】

 認知症になっても、何もわからなくなるわけではない。しかし「認知症になったらおしまい」という風潮は根強く、認知症の人を生きづらくしている。

認知症の人の部屋に置かれていた人形。果たして本人は人形との会話を望んでいるのだろうか(写真はイメージです)=坂井公秋撮影

認知症の人の部屋に置かれていた人形。果たして本人は人形との会話を望んでいるのだろうか(写真はイメージです)=坂井公秋撮影

 ◇恍惚(こうこつ)の人

 半世紀ほど前、ベストセラーが生まれた。有吉佐和子著『恍惚の人』(新潮社、1972年)だ。痴呆(認知症の当時の呼び方)の介護を社会問題として描いた長編小説である。翌年には森繁久彌主演で映画化され、東宝が配給。舞台化やテレビ化も続いた。

 それ以前にも、老人ぼけを「もうろく」と言ってはいた。しかし有吉は「心を奪われてうっとりする」という意味の「恍惚」という言葉を使うことで、得体の知れない不気味さを痴呆老人に与えてしまったようだ。「恍惚の人」は流行語となり、それ以降、「痴呆になったら何もわからなくなる」「痴呆は心を奪う恐ろしい病気だ」といった見方が全国に一気に広がっていった。

 小説『恍惚の人』には、痴呆を題材とすることで、高齢者福祉の必要性を社会に問い掛けた功績はあるだろう。しかし一方で、今に続く痴呆への恐怖心や偏見・誤解を定着させた失点があるのではないかと筆者は感じている。その理由として、有吉は、痴呆の人の異常な行動を強調。それに当惑し、苦労する周囲の人の大変さを描くのに軸足を置き過ぎ、本人の心の中に目を向けていなかったことが挙げられそうだ。

 ◇痴呆から「認知症」へ

 「痴呆」が「認知症」に改められたのは、『恍惚の人』から32年後の2004年である。厚生労働省の「『痴呆』に替わる用語に関する検討会」報告書(同年12月)は、「痴呆」を使うことの問題点について「痴呆という用語はあほう・ばかと通ずるものであり、侮辱的な意味合いの表現である」としている。文字の分析も行い、「痴は、おろか、くるう」「呆は、ぼんやり、魂の抜けた」とさんざんである。

 同報告書は、痴呆という用語は、「痴呆になると何もわからなくなってしまう」という誤ったイメージにつながり、恐怖心や羞恥心を増幅しているとも指摘。かくして「痴呆」は「認知症」という呼称に改められたのだ。なお、法律上の用語改定は翌05年であった。

 ◇誤解と偏見の行方

認知症の人に話し掛ければ、実にいろいろな事を語ってくれる(写真はイメージです)=大隅孝之撮影

認知症の人に話し掛ければ、実にいろいろな事を語ってくれる(写真はイメージです)=大隅孝之撮影

 認知症」への変更から15年以上が経過した今日、認知症認知症の人に対する誤解や偏見は一掃されたのだろうか。ここで、本人の声に耳を傾けてみたい。

 一般社団法人日本認知症本人ワーキンググループが制作に協力した『本人にとってのよりよい暮らしガイド 一足先に認知症になった私たちからあなたへ』(地方独立行政法人東京都健康長寿医療センター、2018年)に本人からのメッセージがある。

 「世の中の多くの人たちは、『認知症になったら、何もわからなくなる』

認知症になったら、人生もうおしまい』という旧いイメージ(偏見)を、根深くもっています」

 実際、本人もそうした偏見をもっていたという。「でも実際は違いました」と次のように続ける。

 「病気になったからといって、いきなりすべてがわからなくなる、できなくなるわけではありませんでした。(中略)診断後何年たっても、まだまだわかること・できることがたくさんあります」

 ◇可能性をつぶすもの

 認知症になったからといって、急にすべてがわからなくなるわけではない。アルツハイマー型認知症の診断を受けたある女性は「さすがに、長編小説を読むのは厳しくなりましたけど、短編小説やエッセーなら楽しめます」と言う。同じ診断を受けたある男性は、年末のベートーベン第9の合唱を「歌詞を思い出すのは少し大変になりましたけど、何十回も練習すれば、みんなと一緒に歌うことは十分に可能です」と言いながら続けている。

 筆者は、多くの認知症の人にインタビューしてきた。その中で、自分たちが歩いて来た道やその頃の思い、さらには、今の気持ちまでもきっちりと答えてくれた人は少なくない。

 ところが、そんな認知症の人の目の前で「この人、わかっていないから」と言いながら、本人抜きで決め事をする家族、さらに、医療や介護の専門職もいるという現実がある。

 認知症の本人たちは「自分たちを抜きにして決めないで」「役割を奪わないで」「できることを禁止しないで」と叫んでいる。

 認知症の人の苦しみ

 認知症になっても、できることはたくさんある。しかし、認知症という病気は徐々にではあるが確実に進行し、わからないこと、できないことを一つひとつ増やしていく。

 「どうして、こんなことがわからないのだろう」

 「なぜ、できないのだろう」

 やがて、孫や子どもの名前が思い出せないばかりか、自分に向かって話し掛けてくれる人が誰なのかも、わからない時がやって来る。自分が何者であるのかという「存在不安」にも包まれる。並行して、家族や周囲の人との溝は深まり、孤立感や孤独感が高まっていく。筆者は、認知症の人が一人でいるときの表情を高齢者施設などで垣間見ることがあるが、誰もが険しく、苦しそうな顔をしている。

 そんな認知症の人を指し、「ぼけた人は楽でいい」などと言うのは、最も罪つくりな偏見・誤解の一つだろう。認知症になって一番苦しいのは、誰よりも本人なのだ。

 次回は、本人の心の内部にさらに深く目を向けていきたい。(了)

 ▼佐賀由彦(さが・よしひこ)さん略歴

 ジャーナリスト

 1954年、大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本執筆・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。

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