Dr.純子のメディカルサロン

多彩な分野で活躍 ラスカウスキーさんに聞く

スタートは陸軍

 海原 陸軍の大尉をなさっていたのは驚きでした。女性の大尉というのは米国では多いのですか。苦労など多かったのでは。


 ラスカウスキー 私が陸軍にいた時は、そんなに女性はいませんでした。私は1980年代に現役でしたが、その時は10%未満だったようです。その中でも私は将校だったので、さらに少ない数だったと思います。1990年の統計では、現役の女性陸軍兵士は11%で、2015年には17%になっていますが、まだまだ少数ですね。

 陸軍でもさまざまな職種があるのですが、私は子供の頃から表で遊ぶのが好きだったので、オフィスワーカーではない仕事、ジープで外を駆け巡る陸軍警察を選びました。

 苦労が多かったか、と言えばそうだったかもしれませんが、私はあまり物事を深く考えない傾向みたいで、「これは苦労だなぁ」と思ったことは、特に思い出せません。

 私は子供の頃からG.I.ジョーのお人形で遊んだり、小さなプラスチックの兵隊さんを集めて戦争ごっこをしたりしていたので、高校を卒業したら軍に入るのが目標でした。いわゆるトムボーイ、日本語では、おてんば娘だったのです。

 高校では、進学カウンセラーの先生が退役軍人で、その方のおかげで大学へ陸軍の奨学金で入ることができ、夢みたいでした。

 大学ではコンピュータ工学を専攻し、夜や週末は大学近くの砂漠や山で陸軍のトレーニングをしました。体力的には「大変だなぁ、できるかなぁ」と思ったことはたくさんありましたが、それをやらなくては何しろ前に進めないので、何とかかんとか、やり遂げてきました。

 今でも覚えているのは、パラシュート訓練です。大学3年から4年になる夏に、パラシュート訓練を受ける機会を頂いたのですが、何せ若干、高所恐怖症の私は、この3週間のトレーニングで「死ぬのじゃないか」と思ったくらい、記憶に残っています。

 ここでも女性はほんの一握りだったので、飛行機からジャンプする際は、よく女性が先頭に立たされました。きっと「女ができるのだから、男はちゃんとやれ」って感じだったのでしょうね。こんな感じで4年間の大学生兼学生軍人の生活があっという間に終わって陸軍にそのまま入りました。



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