一流に学ぶ 難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏

(第6回)骨埋める覚悟、秋田へ=もう一人の恩師との出会い

 寝る間も惜しんで日夜手術の腕を磨いてきた上山氏は30歳になる頃、仲間内では誰にも負けないほどの症例数をこなしていた。生涯の恩師に出会ったのは、そんな時だった。

 都留教授が動脈瘤(りゅう)になって、その後遺症で物が二重に見える症状のために手術ができない時期があった。その時に脳底動脈瘤という手術の難易度が極めて高い症例が来てしまった。症例検討会の最中、都留教授が「お前らには無理だ。善太郎を呼ぶべ」と言って呼んだのが秋田県立脳血管研究センターの伊藤善太郎氏だった。

 「手術を見て、腰が抜けるほど圧倒されました。一切の出血もなく、最深部にある脳底動脈に到達し、いとも簡単に動脈瘤にクリップをかけました。血管も切らず、脳も崩さない。町内会の運動会で3年連続優勝してうぬぼれていた僕が、ウサイン・ボルトの走りを見たみたいな驚きでした。その頃は俺、北大のブラックジャックじゃないの? なんて調子こいてたけど、井の中のカワズだったと気付きました」

 チーフレジデントを終え、次は函館の国立療養所に新設される脳外科の立ち上げに加わることになっていたが、予算の関係で赴任が延期になった。これをチャンスと、伊藤氏のもとへ3カ月間の研修を願い出た。

 「研修を終えて北大に戻った翌週に伊藤先生から電話があって『いつ来るんだ』と。その後も都留先生のもとに『上山をくれ』と何度も足を運んでくれたんです」

 

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