「医」の最前線 乳がんを書く

侮れないホルモン療法
~体に数々の異変~ (医療ジャーナリスト 中山あゆみ)【第8回】

 乳がんの手術を2020年10月に受けた後に始まったホルモン療法は7年にわたって続く。

 「乳がんは全身の病気だ」と乳腺外科医は言う。乳がんはかなり早い段階から、血液やリンパ液の流れに乗って転移を起こす可能性がある。手術でがんと周囲の乳腺組織を摘出しても、目に見えないがん細胞がどこかに潜んでいる場合もあるからだ。薬物療法が行われないのは、ステージ0期の非浸潤がんや、ごく早期の浸潤がん、一部の特殊なタイプの乳がんなどで、乳がん全体の2割程度にすぎない。それ以外の大多数の人は、手術後に全身の治療を続けることになる。乳がんの治療は長丁場だ。

関節が痛くて立ち上がるのに一苦労

関節が痛くて立ち上がるのに一苦労

 ◇長い長い治療

 ステージⅡの私の場合、手術後の痛みがようやく和らいできたところに、放射線治療と共に間髪入れずにホルモン療法が始まった。

 ホルモン療法は、女性ホルモンのエストロゲンの作用を抑えることで乳がんの増殖を抑制する。乳がん全体の7~8割を占めるホルモン感受性乳がんには不可欠とされている治療法で、閉経前後で使用される薬剤が違う。

 病院でもらったパンフレットには「比較的副作用の少ない薬」という説明があった。抗がん剤で髪が抜けたり、全身がだるかったり、食欲がなくなったりの副作用があることは知られている。おそらく、それと比較して副作用が少ないということなのだろう。しかし、抗がん剤は短期集中治療だが、ホルモン療法は最低でも5年、長ければ10年も続けなければならない。

 ◇副作用で別人になる

 単に、毎日薬を飲めばよいだけと考えていたため、薬を飲んでこれほどまでに体が変化するとは思わなかった。女性ホルモンは子宮や乳房だけでなく、脳や骨、血管、皮膚など、全身のさまざまな場所で働いている。一生で分泌される量はティースプーン1杯ほどの微量だが、骨を丈夫にし、血管をしなやかにし、イライラや抑うつを防ぐなど、心身の健康に大きな役割を果たしている。個人差が大きいとはいえ、その女性ホルモンを抑えてしまうのだから影響があって当然とも言える。

 最初に処方されたアロマターゼ阻害薬(閉経後)は、飲み始めて10日目の朝に立ち上がろうとすると、足首、膝、股関節がギシギシいって、すぐには立ち上がれなくなった。よく、足腰の弱くなった高齢者が「よっこいしょ」と時間をかけて立ち上がる、あの感じだ。手もこわばるし、もともと痛めていた肩関節がさらに動かしにくくなった。まるで、昭和の野球漫画『巨人の星』の大リーグ養成ギプスを着けられたみたいに動きづらい。

 仕事以外で全身を隅々まで使う事情があり、体の変化がより大きく感じられた。筋肉も弱くなって踏ん張れない。太ももの裏側の筋肉がこわばって前屈もできない。脚を上げようとすると、股関節周りに痛みが走る。体中ガタガタだ。

 ◇恐るべき女性ホルモンの力

 女性ホルモンが低下すると、筋力が低下し、損傷した筋肉の回復力も低下することが数々の研究によって明らかにされている。私の場合、筋力が弱くなっただけでなく、もともと酷使して疲労がたまっていた所が一気に固まってしまった感じだ。手術や放射線を乗り越えて、やっと一息付いたと思ったのに、まるで以前の自分とは違う。別人のようになってしまい、すっかり落ち込んだ。

 これを通常は5年間、私の場合はリンパ節転移があった分、プラス2年の7年間も継続しなければならない。

 何とか1カ月頑張ってみたが、体が自由に動かせない状況が耐えられなくなった。しかし、薬をやめれば再発のリスクが高くなる。目先の快適さのために命を縮めることになってよいのか、あるいは体が楽になる方法はないのか。どうにも出口が見つからなくなってしまった。

「マギーズ東京」のサイトより

「マギーズ東京」のサイトより

 ◇「マギーズ東京」で気持ちを整理

 ふと思い出して、認定NPO法人「マギーズ東京」に行ってみることにした。がんを経験した人やその家族、友人などが気軽に訪れて、安心して話せる場所だ。1996年に英国で生まれ、日本では2016年にオープンしたもので、センター長である看護師の秋山正子さんを取材したことがあった。英国内に20カ所以上あり、スペインのバルセロナや香港にもあるという。

 新橋から「ゆりかもめ」に乗り、市場前駅で降りる。そこから歩いて5分。がんの治療を受ける前は、1段飛ばしで一気に駆け上がっていた階段を、普通に上ることすらもしんどい。

 道に迷って電話をかけると、スタッフの1人が大きな道路まで迎えに来てくれた。温かみのある木造の建物。海外のどこかのお屋敷に迷い込んだかのようなセンスのいい空間に気持ちが和んだ。看護師の資格を持つスタッフが部屋に案内してくれ、お茶を入れてくれた。名乗る必要もなく、運営費は寄付などで賄われているため、利用料もかからない。こんな施設が全国各地にあれば、がん患者はどれだけ心強いだろう。

 ◇ひたすら耳を傾けるだけで

 がん告知から手術、放射線までは迷うことなく、一気に突き進んできた。しかし、ホルモン療法の副作用がつらくて、どうにも前を向けない。何とかして楽になる方法を知りたかった。それがないなら、ホルモン療法を別の薬に変えるという選択肢もあるが、再発予防効果は下がる。その決断ができなかった。

 看護師は漢方薬の情報を探してきてくれて、私のとりとめのない話にじっくりと耳を傾けてくれた。副作用が軽くなるという決定打は見つからなかったが、話をしているうちに自分にとって何が大切かはっきりしてきた。家族と仕事、それ以外にも私には大切なものがある。そのどれか一つが欠けても、私は元気でいられない。筋肉と関節の痛みは、その一つを諦めなければならないほど、つらかった。ここ数年、朝に晩に1日も欠かさず、入院中もトレーニングを続けてきた。新型コロナウイルスで緊急事態宣言が出された時も、公園で毎日、縄跳びを150回、二重跳びを連続20回、筋トレにストレッチ、三半規管を鍛えるための回転を左右に100回ずつ…。それが今は駅の階段を上るのもつらい。自分がどれだけ頑張ってきたのかを話しているうちに、「例え、社会的に何の意味もないことでも自分にとっては大切なものだ、諦めることはできない」という結論に達した。

 具体的なアドバイスをもらうわけでもなく、ただ会話をするだけで自分の気持ちが整理されてくる。相手にどう思われるかを気にせずに、感じていることや思っていることを口に出すことは、特に闘病中には必要なことだ。仕事柄、いろいろな人に病気やケガの相談を受ける。そんなとき、いつも私は解決策を提示してしまう。ただ、ひたすら耳を傾けるということも心掛けていきたいと思った。(了)


中山あゆみ

中山あゆみ

 【中山あゆみ】

 ジャーナリスト。明治大学卒業後、医療関係の新聞社で、医療行政、地域医療等の取材に携わったのち、フリーに。新聞、雑誌、Webに医学、医療、健康問題に関する解説記事やルポルタージュ、人物インタビューなど幅広い内容の記事を執筆している。

 時事メディカルに連載した「一流に学ぶ」シリーズのうち、『難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏(第4回・5回)』が、平成30年度獨協大学医学部入学試験の小論文試験問題に採用される。著書に『病院で死なないという選択』(集英社新書)などがある。医学ジャーナリスト協会会員。

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