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生徒を恐怖から解放
~がん教育の成り立ち~ 第4回

 がん対策基本法が成立した2006年当時、筆者(南谷)は高校生でした。男子校で部活や遊び、勉強にと、高校生なりに忙しい毎日を送っていたと思います。部活はハンドボール部の主将で、授業中にいろいろなフォーメーションやセットプレーなどをノートにまとめていたことを思い出します。ただ私の高校時代を振り返ると、がん教育はもちろん、保健体育の授業の内容はあまり思い出せません(もしかしたら寝ていただけかも…)。

 同年末に発表された「今年の漢字」は「命」でした。小・中学生の自殺が多発し、臓器移植事件、医師不足などによる命の不安といったことが要因だったようです。06年は日本の人口の減少が始まりだした頃でもあります(正確には08年と言われています)。日本のがん政策においても重要な年です。今回はがん教育の成り立ちについて説明します。

教科書にがんに関する記述が載るようになった

教科書にがんに関する記述が載るようになった

 ◇国民みんなで向き合う

 1981年から現在まで、日本人の死亡原因の第1位は変わらずがんです。現在では毎年100万人近くが新たにがんと診断され、40万人弱ががんで亡くなっています。当然、80年代からがんに対してさまざまな対策が取られてきました。06年のがん対策基本法成立に続き、07年には初めての国家的がん対策プログラムである「がん対策推進基本計画」が策定されました。

 この計画の中で、治療施設の整備や患者支援の仕組み作りなどが提唱されました。さらに、「がん患者を含めた国民が、がんを知り、がんと向き合い、がんに負けることのない社会」の実現を目指すという記述もありました。つまり医療関係者や患者だけでなく、国民みんなでがんと向きあうための計画が作られたのです。

国会議員の間でもがん教育への関心が高まった

国会議員の間でもがん教育への関心が高まった

 ◇15年前に始まったがん教育

 そして「学び」には、良質な教育が不可欠です。もう一人の筆者である中川は、08年ごろから東京都内の中学校で「がん教育」を実践し始めました。「がんを正しく知る、理解する」という視点に立ったもので、生徒たちを「がんの恐怖から解放する」ような授業でした。この授業を見て、国会議員や東京都議会議員が重要性を痛感し、文部科学省などへの働き掛けが本格化しました。そのようにして理解が広まった結果、10年には国会で、がん教育の推進が提唱されるようになりました。

 このおかげもあって、12年に策定された「第2期がん対策推進基本計画」では「がんの教育」が新たな項目として追加されたのです。「5年以内に、学校でのがん教育のあり方を含め、健康教育全体の中でがん教育をどのようにするべきか検討し、検討結果に基づく教育活動の実施を目標とする」とされ、国ががん教育に本格的に取り組む姿勢が明らかになりました。

 ◇学習指導要領に盛り込む

 このため、学校の授業の基本的な指針になる中学・高校の学習指導要領にも「がんについて取り扱う」という記述が入りました。特定疾患が盛り込まれたのは、当時AIDS(エイズ=後天性免疫不全症候群)と呼ばれていたHIV(エイズウイルス)感染症以来20年ぶりで、大きな出来事となりました。これが現在の教科書改訂につながっています。

 一口にがん教育を推進するといっても、その内容が重要です。その後、日本学校保健会の「がんの教育に関する検討委員会」や文部科学省の「がん教育の在り方に関する検討会」における議論を通じて、少しずつがん教育の全国展開への道筋が整備されてきました。

 これによると、がん教育の車の両輪は「教師の授業」と「外部講師の授業」の二つですが、この「外部講師」の確保にはなかなか難しい面があります。医療過疎地域などではなおさらです。このため、医師をはじめとする外部講師のリクルート方法について現在に至るまでさまざまな方法が検討されています。

 ◇低い外部講師による実施率

 そして16年にはがん対策基本法が改正され、法律の中にも「がんに関する教育の推進」が盛り込まれました。こうして学校教育におけるがん教育が小学校では20年度から、中学校では21年度から、高校では22年度から始まりました。

 まだ始まったばかりのがん教育なので課題も少なくありません。21年度の全国の外部講師を活用したがん教育の実施率はたったの8.4%です。そのうち、がん専門医が実施した割合は20%以下です。今後、日本のがん教育がどのように行われていくか、それによって日本人のがんや健康に対する考え方がどう変わっていくのか、見ていく必要があります。(了)

 南谷優成(みなみたに・まさなり)
 東京大学医学部付属病院・総合放射線腫瘍学講座特任助教
 2015年、東京大学医学部医学科卒業。放射線治療医としてがん患者の診療に当たるとともに、健康教育やがんと就労との関係を研究。がん教育などに積極的に取り組み、各地の学校でがん教育の授業を実施している。

 中川恵一(なかがわ・けいいち)
 東京大学医学部付属病院・総合放射線腫瘍学講座特任教授
 1960年、東京大学医学部放射線科医学教室入局。准教授、緩和ケア診療部長(兼任)などを経て2021年より現職。 著書は「自分を生ききる-日本のがん治療と死生観-」(養老孟司氏との共著)、「ビジュアル版がんの教科書」、「コロナとがん」(近著)など多数。 がんの啓蒙(けいもう)活動にも取り組んでいる。


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