一流に学ぶ 角膜治療の第一人者―坪田一男氏

(第2回)自分で師匠を選ぶ=眼科の道へ進む

 ◇ヨットにスキー、南米探検

 医学部時代はヨット部、スキー部、国際医学研究会という三つのクラブで精力的に活動。ヨットでは国体にも出場した。

 「ヨットレースは新しいヨットを買うというところから始まります。自分の実力だけでは勝てない世界。国際医学研究会などは南米に2カ月も探検に行くので必要な資金も半端じゃない。学生たちで寄付集めに東京・丸の内の会社回りをして、年間1000万円もの資金を集めていました」

 この経験が、後に新しい医療を開拓する時に大いに役立つことになる。


 ◇懐深い教授を求め

 医師としての進路を決める際は、自分なりに考えた。はじめは眼科そのものに興味はなかった。むしろ、「眼科なんてちっこいのは嫌だな」とすら思っていた。「実家がガラス屋で父が医者じゃないから、ガチガチの主流のところへ行っても合わないだろう。少しぐらい自分のユニークさを認めてくれる懐の大きな教授の下で学ばないと、潰れてしまうかもしれないと思いました」と率直に話す。

 そこで、分野ではなく師匠、つまり教授で選ぶことにした。まず、学生時代から世話になっていた病理学の細田泰弘教授(前医学部長)に「今、慶応の医学部で一番、大物の教授は誰でしょう」と聞くと、何人かの名前を挙げてくれた。

 坪田氏はその教授たちに順番に会い、最終的に眼科の植村恭夫教授を自分の師匠と決めた。会ってみて、直感的にこの人物は懐が深いと感じたという。

 「植村教授が眼科だったので、眼科を選択しました。自分で師匠を選ぶと、とても気持ちが良いものです。『私のお師匠は植村先生です』と、誰に対しても胸を張って言えます」

(ジャーナリスト・中山あゆみ)


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