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家族と対決したケアマネ 第51回

 ◇緊急入院

 さらに半年後のある日、「血を吐いて救急車で入院した」と長男から連絡があった。

 ケアマネジャーが病院に行くと、長男たちは帰った後だった。潰瘍からの出血だった。

 病室を訪ねると、「連れて帰ってくれ。ここじゃたばこも吸えやしない」と良雄さんは元気なく言った。もちろんケアマネジャーの裁量の範囲を超えている。

 その1週間後、今度は病院から呼び出しがあった。良雄さんが「家に帰る」と大騒ぎしているという。家族に連絡しても、「縛り付けてでも、入院させておいてくれ」と返事をされ困っている。本人がケアマネジャーに連絡してくれと繰り返しているらしい。「一通りの治療は終わったし、退院は可能だ」と病院は告げる。病院は追い出したいのだ。

 病室には、荷物をまとめ、ベッドの上に外出着を着てちょこんと座っている良雄さんの姿があった。

 「退院の手続きは、わしが済ませた。どうか連れて帰ってほしい」

 意思のある大人の合法下の決定を何人たりとも妨げることはできない。「私はタクシーじゃありませんよ」とくぎを刺し、ケアマネジャー自身からも家族に一報を入れ、良雄さんを自宅に連れ帰った。

 それからが大変だった。長男は「なぜ帰ってきた!」と父親をどなり、「あんたもあんただ」とケアマネジャーをにらみつけた。嫁は「ぼけた年寄りを家で見ることはできない」とパニックになっている。ケアマネジャーは対決の時が近づいてきたと思った。

 ◇なし崩し的保証

 退院騒動がひと息ついた頃を見計らい、ケアマネジャーは良雄さん宅を訪問した。

 良雄さんは、縁側の日だまりで、いつものようにたばこを吸っていた。

 「病院からも追い出されるし、あんたが甘やかすからぼけが進むんだ」

 対決の時が来た。

 「お父さまは認知症ではありません」

 「デイサービスにも通わなくなった。じっとしているからぼけが進むんだ。あんたは何も分かっちゃいない」

 「分かっていないのは、あなたの方です。お父さまは、縁側でゆっくり過ごすのが一番大切な時間なんです」

 そんなバトルが何度も繰り返された。話はそのたびに平行線。しかし、その間、良雄さんのお気に入りの時間はなし崩し的に保証され続けたのである。

 ◇思い出の涙

 数カ月後、良雄さんは急逝した。正月に食べた餅を喉に詰まらせたのだ。

 四十九日が過ぎた後、長男夫妻がケアマネジャーの事務所を訪ねてきた。長男は言った。

 「父がたばこを吸っていた縁側に座って庭を眺めているとね。最後まで家にいることができて、本当に良かったと思えてきました」

 妻が続ける。

 「私もきついこと言ったけど、義父は何も言い返しませんでした。なんだかじゅうたんのお焦げも懐かしくて…」

 二人は涙を浮かべて「ありがとうございました」と頭を下げた。ケアマネジャーも「こちらこそ、ありがとうございした」と二人以上に深く頭を下げた。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)
 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。中でも自宅で暮らす要介護高齢者と、それを支える人たちのインタビューは1000人を超える。



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