新米医師こーたの駆け出しクリニック

本人が望む「最期の迎え方」 
事前に家族で話し合ってみませんか 専攻医・渡邉 昂汰

 内科医として働いていると、天寿を全うされようとしている患者さんを担当することが多々、あります。

 心肺停止状態で搬送されてきて、一度は蘇生に成功したものの、脳に不可逆的なダメージを負って、いわゆる植物状態となった人。誤嚥(ごえん)性肺炎を繰り返し、徐々に食事が取れなくなった人。脳卒中の治療後も残念ながら意識が戻らなかった人など、経過はさまざまです。

父はどんな「最期の迎え方」が望みなのか。「縁起でもない」が口ぐせだった父から何も聞けなかった私たち家族は、病院が行う最大限の延命治療をただ見守るしかないーこういうケースは珍しくありません【時事通信社】

父はどんな「最期の迎え方」が望みなのか。「縁起でもない」が口ぐせだった父から何も聞けなかった私たち家族は、病院が行う最大限の延命治療をただ見守るしかないーこういうケースは珍しくありません【時事通信社】

 その中には、本人の意識はないまま、延命のための治療が続けられているケースも、しばしば見受けられます。
 
 ◇「最期の方針」を伝えておく

 「あらゆる手段を使って、どんな形でも少しでも長く生きたい」という考え方も、「回復の見込みがないならできるだけ自然な形で最期を迎えたい」という考え方も、どちらの意思も尊重されるべきです。

 自分はどうしたいのか、自分の親はどうしたいのか、考えたことはありますか。

 病院では、急変時の対応について、本人もしくは家族に確認し、その希望を尊重できるような体制を取っています。

 しかし、私の体感としては、8割程度の人は「考えたことがない」「話し合ったことがない」などを理由に、決められないと言います。

 多くの人にとって、死は遠い未来に起きること。日本人の死生観もあり、死について話すことは、タブー視されています。

 しかし、死は突然、訪れるものです。十分な話し合いがなされないまま、その時が来てしまうと、望む、望まないとにかかわらず、最大限の治療が行われることになります。

 その結果、出口のない延命治療を続けることとなれば、家族は身体的・精神的な負担を強いられることも少なくありません。

 望む最期を迎えるためには、自分の意思を元気なうちに示しておく「リビングウィル」が大切です。
 
 ◇話し合っておくべきこと

 考えておくべき、話し合っておくべき項目は、いくつかあります。その中で、最も話し合っておくべきことは「心肺停止時に心臓マッサージをするか、人工呼吸器への接続をするか」です。

 もともと元気な人であれば、一度、心臓や呼吸が止まってしまっても、これらの蘇生処置により、救命および意識の回復が見込めます。

 しかし、高齢者や多数の基礎疾患を抱える人の場合、そこまで回復するケースはまれで、ただ身体を痛めつけるだけになってしまうことがほとんどです。

 事前の取り決めがなければ、全ての蘇生処置を行うことになるため、望まない人は事前にその意思を示しておく必要があります。

 二つ目は「食事が取れないときに、長期的に栄養剤を投与して延命をするか」です。

 形態としては、胃ろうや鼻から流動食を投与する経管栄養、首や脚の付け根に留置した点滴から高カロリー輸液を投与する中心静脈栄養があります。食事が取れない原因が一時的なものであれば、再び口から摂取できるまでのつなぎとして有用です。

 しかし、高度認知症や蘇生後脳症など、治療不可能な機能障害によって食事が取れない場合、亡くなるまで、ずっと栄養剤を入れ続けることになり、まさに終わりのない延命のための治療となってしまいます。
 
 ◇本人の意向を確認できずに

 もし、家族の誰かが、リビングウィルが確認できていない状態で、危険な状況に陥ってしまった場合、本人に代わって家族が決断を下さなくてはいけません。しかし、家族であっても、人の最期を決めるということには、大きな心理的負担が伴います。

 このようなときは、本人の幸せにつながる選択を家族が考えてあげよう、という考え方をするといいと思います。

 人工呼吸器や管などをつなげられた状態ではなく、自然な形で一生を締めくくるのか。たとえ意識はなくても、どんな形でも、1秒でも長く生きていたいのか。

 最期に関わる医療は特に、本人や周りの人の幸せのために行いたいものです。そのために、日頃から家族で話し合っておくよう、ぜひお願いします。

(了)

 渡邉 昂汰(わたなべ・こーた) 内科専攻医および名古屋市立大学公衆衛生教室研究員。「健康な人がより健康に」をモットーにさまざまな活動をしているが、当の本人は雨の日の頭痛に悩まされている。

【関連記事】


新米医師こーたの駆け出しクリニック