こちら診察室 アルコール依存症の真実

「あなたのために何もしません」 第27回

 妻と2人の息子に逃げられ、1人アパートで暮らし始めた42歳の男性は連続飲酒発作に陥り、命からがら精神科病院に電話した。月曜日だった。病院の医師は「入院の支度をして、あさっての水曜日にいらっしゃい」と告げた。その病院には門前払いを食らっている。酔っ払って「入院させてくれ」と頼んだからだ。

妻に手を合わせて頼んだが、拒絶された

妻に手を合わせて頼んだが、拒絶された

 ◇ひたすら耐えた

 月曜日から水曜日までの2日間を「今までの人生で、最も時間が進まなかった日」と男性は振り返る。

 酒は1滴も飲まなかった。手が震え、汗が止まらず、強い吐き気を覚える離脱症状の中で布団を被り、ただ耐え続けた。

 「本当に苦しかった。でも、今度飲んで病院に行ったら永久に診てもらえない。『絶対に飲んではいけない』と肝に銘じました。幸い、部屋に酒はありませんでした」

 そして、水曜日の朝が来た。

 ◇妻に手を合わせた

 何日も食事らしい食事はしていない。力がまったく入らなかった。体中に痛みもある。男性は妻に病院に連れて行ってもらおうと思った。しかし、携帯電話はやはり見つからない。病院に電話をした時と同じように四つ這いで公衆電話まで行き、妻を呼んだ。

 どれくらいたったのだろうか、アパートに帰り、横になっていた男性が目を開けると妻が立っていた。

 体のあちこちを擦りむき、血だらけになっている夫を見て驚く妻に「頼むから病院に連れて行ってくれ」と手を合わせた。

 ◇妻の言葉

 妻は言い放った。

 「私は、あなたのために何かをすることをやめました。病院には一人で行ってください」

 その時は「何て薄情な女なのだ」と恨んだ男性だったが、酒をやめた今、「あの言葉があったから、今がある」としみじみと感謝する。

 妻はアルコール依存症者の配偶者として、「共依存」の治療とカウンセリングを受けていた。そこで繰り返し、「アルコール依存症の人の世話をすることをやめなさい」と言われていた。妻はそれを忠実に実行したのだ。

 ◇共依存者とは

 共依存とは、アルコール依存などの問題を抱える本人に必要とされることに自分の価値を見出し、その関係に依存する状態を指す。アルコール依存症者の配偶者や親が陥りやすい。共依存者は、本人のアルコールなどへの依存を手助けする「共犯者」だとも言える。

 妻は自分が共依存であることを知り、夫の手助けをやめる決断を下した。

 かつては苦楽を共にした、血まみれの男の手を合わせての嘆願に、首を横に振った妻もまた、苦しかっただろう。

 ◇妻の胸中

 「このまま見放せば、夫はきっと死ぬだろうと思いました。アパートを出て子どもの所に帰りながら、その思いは確信に変わっていきました。でも、アパートには戻りませんでした」

 こう回想する妻は「夫が死んだとしても、それを招いた自分の行動を子どもたちに正直に話し、苦渋の決断をした時の気持ちを一生抱えながら生きていくしかないと思いました」と続けた。

 ◇足切断の恐怖

 「どうやって病院にたどり着いたのか、まるで覚えていません。目が覚めたら病院のベッドでした」

 目覚めたのは精神科病棟だった。医師がやって来て「よく来られましたね」と言った。何かを答えようとしたが、医師はそれを待たずに「これから外科病棟に移りますよ」と告げた。

 「両足が真っ黒になって丸太のように腫れ上がっていました」

 壊疽(えそ)を起こしていたのだ。点滴で身動きが取れない男性は痛みにあえぎながら、医師から「手術をするよ」と言われることにびくついた。

 壊疽の手術には、血行障害を改善するためのバイパス手術と壊疽部分の切除がある。当時の男性は手術とは切除、すなわち「切断」だと思い込んでいた。自業自得だとは言え、足を失う現実にはとても耐えられそうにないと震えた。

 後に看護師から聞いた話によれば、切断手術の準備をしていたのだそうだ。だが、間一髪で切断は免れた。

 ◇孤独の中で

 2カ月後、男性は精神科病棟に帰った。車椅子での帰還だった。患者仲間は自助グループなどの病院の外のプログラムに参加する。しかし、車椅子では院外に出られず、病棟の片隅にある食事スペースでぼうっと過ごすことが多かった。

 ある日、無性に誰かと話したいと思った。ところが仲間は外に出ている。この日は、スポーツのレクリエーション・プログラムがあった。病棟に残っているのは会話があまり通じない重度の患者ばかりだった。

 ぼんやりと外をながめていたら、雨が窓のガラスを打ち始めた。雨が強くなれば仲間が帰って来る。「強く降れ」と願ったが、雨はすぐに上がった。

 誰かに話したい。アドレス帳をめくって相手を探した。だが、電話できる相手は一人もいなかった。

 「俺の40何年間は、いったい何だったんだろう」

 生まれて初めて感じる寂しさだった。その時ふと、「酒をやめよう」と思った。

 「本当に自分にできるのか」と内なる声が聞こえてきた。その声に男性は答えた。

 「それしかやることがないじゃないか」

 入院期間は半年だった。退院から5年。男性はいまだに酒を飲んではいない。(了)

 佐賀由彦(さが・よしひこ)

 ジャーナリスト

 1954年大分県別府市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。フリーライター・映像クリエーター。主に、医療・介護専門誌や単行本の編集・執筆、研修用映像の脚本・演出・プロデュースを行ってきた。全国の医療・介護の現場(施設・在宅)を回り、インタビューを重ねながら、当事者たちの喜びや苦悩を含めた医療や介護の生々しい現状とあるべき姿を文章や映像でつづり続けている。アルコール依存症当事者へのインタビューも数多い。

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