西村正治 医師 (にしむらまさはる)

北海道大学病院

北海道札幌市北区北十四条西5丁目

  • 第一内科
  • 診療科長 教授

内科 呼吸器科

専門

呼吸器病学、呼吸病態生理学、とくにCOPD(慢性閉塞性肺疾患)、喘息の病因・病態・治療

西村正治

西村正治医師は、呼吸器疾患を主に診療する内科Iを率いる。日本を代表する高い臨床レベルを自負し、思いやりを持って患者に接する。とくに、慢性閉塞性肺疾患(COPD)についてはスペシャリスト。世界的ガイドラインGOLDの作成・普及に日本を代表して参画している。COPDについては最良の治療により同年代の健康な人に限りなく近い生活を送れるよう導いている。他の呼吸器疾患についても、優秀なスタッフ医師の協力の下、最新の診断・手技による最良の診療を目指している。

診療内容

COPDは長期の喫煙や大気汚染によっておこる肺の炎症性疾患である。細い気道(空気の通り道)に起こる “末梢気道障害”と肺胞(肺の奥の袋状になっている酸素交換を行う部位)が破壊される“肺気腫”の二つの病変の混在がこの疾患の特徴。「社会の高齢化とともに年々患者は増えており、日本には500万以上のCOPD患者がいると推定されています」と西村医師は話す。「症状としては身体を動かしたときの息切れ、喘鳴(呼吸の時発するゼーゼー、ヒューヒューという雑音)、咳、痰などがみられます。ただし、これらの症状がすべて揃っているとは限りません。病気は進行性でゆっくりと進行するため、自覚症状に乏しく、重症になるまで気づかないことも多いのです」
疾患の最大の原因は煙草である。「長年にわたり煙草を吸うことでゆっくりと肺に障害が起こります。若年者で起こるごく一部の患者さんを除くと、ほとんどの患者さんは高齢者です。軽症であれ、重症であれ、禁煙をすることはもっとも大切で、病気の進行を抑制することができます。また、一部には間接喫煙(自分が吸っていなくても他人の喫煙の煙を吸うこと)や大気汚染でCOPDになる患者さんもいます」と西村医師は言う。
病気の診断にはまず肺機能検査が行われる。息を吸ったり吐いたりするスパイロメトリーと呼ばれる検査である。「 COPDでは気道が狭くなっている結果として、一秒量(一秒間にいっきに吐き出せる空気の量)や一秒率(一秒量を肺活量で割った値)の低下がみられます。喘息でも同様の障害が起こります。喘息では気管支拡張薬の吸入によって検査の値が正常に戻りうるのに対して、COPDでは一部しか検査値は戻らないのです。COPDはゆっくり進行する病気ですが、ときに一過性に咳、痰、息切れなどの症状が悪化します。これをCOPDの増悪といいます。適切な薬物治療はこの増悪の可能性を減らします」と西村医師は説明する。
治療法にはさまざまなものがあり、患者の病態、重症度によりに複数を組み合わせる。「まず禁煙は絶対必要です。COPD患者は肺の感染から症状が悪化しやすいので予防が大切です。毎年のインフルエンザワクチン接種は必ず受けましょう。また重症の患者さんには肺炎球菌ワクチンを勧めています。肺炎球菌ワクチンは肺炎すべての予防をするわけではありませんが、肺炎球菌と呼ばれる菌による肺炎を減らします。普段の薬物療法としては気管支拡張薬が使われます。喘息と違って症状を完全にとることはできませんが自覚症状を改善し増悪を予防する効果があります。一部の患者さんには喘息で使われる吸入用ステロイドも投与されます。喘息が合併している患者さんはもちろんですが、そうではなくてもすごく効く患者さんがいます。重症例では呼吸リハビリテーションが行なわれます。呼吸の仕方を学び、運動療法をすることによって、身体を動かしたときの息切れを軽くする効果があります。息切れがあるからと言って自宅でじっとしているのは禁物です。COPDが進行して肺が十分の酸素を取り入れることができなくなったときには在宅酸素療法が行なわれます。文字通り自宅でも酸素を吸いながら生活をしますが、酸素を吸いながら遠出をしたり、飛行機の乗る旅行をすることも可能です。つまり酸素吸入をしているからといって、自宅でじっとしている必要はまったくないのです」(西村医師)
残念なことにCOPDになってしまった肺を元通りにする治療法はまだない。しかし「早期に診断を受け生活を見直すこと、症状を改善する薬を使うことによって、病気があっても健康的な日常生活を送ることが出来ます。COPDは喫煙を続けた結果の生活習慣病とも考えられており、思いあたる症状があればCOPDかもしれないと疑ってみることが早期発見の鍵です」と西村医師はアドバイスしている。

医師プロフィール

1977年3月 北海道大学医学部 卒業
1985年 米国マサチューセッツ総合病院呼吸器科留学、医学博士取得
1988年 北海道大学病院第一内科助手
1992年 同 講師
1997年 同 助教授
2001年 同 教授