「医」の最前線 「新型コロナ流行」の本質~歴史地理の視点で読み解く~

WHOはなぜ緊急事態を宣言したか
~サル痘と新型コロナの違い~ (濱田篤郎・東京医科大学病院渡航者医療センター特任教授)【第48回】

 2022年7月23日、世界保健機関(WHO)はサル痘の流行が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」であることを宣言しました。この感染症はアフリカのげっ歯類に流行するウイルス疾患でしたが、22年5月ごろからヒトの間で流行が拡大していきました。

 WHOの緊急事態宣言と言えば、20年1月、新型コロナウイルスの流行に対しても発令されています。「サル痘も新型コロナのような世界的大流行を起こすのではないか」と不安になる人も多いと思いますが、その心配はあまりないようです。それは、緊急事態宣言を発令した理由がサル痘と新型コロナとでは異なるからです。今回は二つの感染症でWHOが宣言を発令した経緯について解説します。

サル痘のハイリスク国リスト(インド)=7月16日EPA時事

サル痘のハイリスク国リスト(インド)=7月16日EPA時事

 ◇WHOの緊急事態宣言

 WHOは05年に国際保健規則を改訂し、国際的な対応を要する感染症の扱いを大幅に変更しました。これは、新興感染症や再興感染症が世界各地で発生していることや、国際間移動の高速化により、従来の方法では感染症の拡大を抑えられないことに対処するためです。特に03年に中国から世界に拡大した重症急性呼吸器症候群(SARS)の流行が、この動きを加速しました。

 そして、この改訂の目玉が「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」の宣言でした。WHOは国際的に急拡大している感染症が世界の人々の健康に危険をもたらすと判断した場合、緊急事態の宣言ができるようになったのです。この宣言が発令されると、加盟国は当該感染症の患者発生をWHOに通告する義務があるとともに、WHOによる感染拡大防止勧告を実施することが求められます。ただし、この勧告に拘束力はありません。

 ◇今までに宣言が出された感染症

 緊急事態が最初に宣言されたのは、09年4月の新型インフルエンザの流行でした。メキシコで発生した豚インフルエンザの流行が瞬く間に全世界へ拡大し、新型インフルエンザとして猛威を振るった時のことです。その後は、14年5月のポリオの世界的拡大、14年8月の西アフリカでのエボラ出血熱の流行、16年2月の中南米などでのジカ熱の流行、19年7月のコンゴ民主共和国でのエボラ出血熱の流行と続き、20年1月の新型コロナの流行に至ります。

 こうして見ると、それぞれの感染症には宣言を発令するのにふさわしい感染力や重症度があります。新型インフルエンザの流行は全世界に拡大し、日本だけでも2000万人以上の患者が発生しました。エボラ出血熱は流行がアフリカに限定していますが、致死率が40%以上に達する重篤な感染症でした。ジカ熱は流行が世界規模に拡大するとともに、妊娠中の感染では胎児に小頭症など重篤な先天障害を起こしました。新型コロナについては説明するまでもありませんが、全世界で5億人以上が感染し、600万人以上が死亡しています。

 では、サル痘の流行もこれに匹敵する健康被害が予想されるのでしょうか。国際的に急拡大している感染症であることは同様ですが、感染力や重症度とは別の要因による被害を生じる可能性があり、WHOは緊急事態宣言を発令したのです。

 ◇サル痘流行の実態

 サル痘はアフリカのげっ歯類の間で流行しているウイルス疾患です。ヒトが感染した動物に接触したり、その肉を食べたりすることで偶発的に感染し、発熱全身の発疹を起こします。致死率が高い種類もありますが、今回、拡大している西アフリカ型はほとんどが軽症です。このようにアフリカの風土病として流行していたサル痘ですが、17年から西アフリカで少しずつ患者数が増加するとともに、欧米からの旅行者がアフリカ滞在中に感染し、帰国後に発症するケースも発生してきました。

 そして22年5月以降、ヨーロッパでアフリカに渡航歴のない患者が次々と発病したのです。この時点でヒトからヒトへの伝播が始まりました。こうした患者の大多数は男性間性交渉者(Men who have Sex with Men :MSM)で、感染者との性行為などによる濃厚接触で感染が拡大していると考えられています。その後、患者の発生は世界全体に拡大し、6月末には約3000人、7月中旬には世界75カ国で1万6000人に上りました。このような世界的な急拡大を受けて、22年7月23日の緊急事態宣言に至ります。

 ◇新型コロナと比較すると

 ここでサル痘の感染力や重症度がどれくらい深刻なのかを新型コロナと比較してみましょう。まず、感染力ですが、新型コロナが飛沫(ひまつ)感染やエアロゾル感染で拡大するのに比べて、サル痘の主な感染経路は患者との濃厚接触になります。飛沫感染やエアロゾル感染の方が、より効率的な感染経路であることは確かです。

 次に重症度ですが、新型コロナは流行が始まった当初、致死率が2~10%になることもありました。オミクロン株が流行するようになり、重症化する人は少なくなっていますが、高齢者などが感染すると重症化し、死亡者も増えます。その一方、サル痘は重症化する患者が少なく、今までにアフリカ以外での死亡者は数名しか報告されていません。つまり、重症度の面でもサル痘は新型コロナに比べ、明らかに低いと言えます。

 そしてもう一つは感染を起こしやすい集団です。新型コロナは誰もが感染するリスクがありますが、サル痘は今のところ男性間性交渉者(MSM)が主なリスク集団になります。もちろん、それ以外の女性や子どもの感染者もいますが、その数はわずかです。つまり、サル痘は新型コロナよりも感染しやすい集団が限定されているのです。

サル痘ウイルスの電子顕微鏡写真=米疾病対策センター(CDC)提供=AFP時事

サル痘ウイルスの電子顕微鏡写真=米疾病対策センター(CDC)提供=AFP時事

 ◇差別や偏見を生じさせないため

 こうした状況から考えると、なぜサル痘がWHOの緊急事態宣言の対象になったか不思議に感じる人も多いでしょう。事実、WHOの緊急事態宣言の発令を検討する会議でも意見が分かれたようです。しかし、最終的にはテドロス事務総長の判断で宣言が発令されました。

 この理由をテドロス氏は宣言発令時の声明で述べています。それは、サル痘の感染しやすい集団が男性間性交渉者である点です。1980年代に起きたエイズ流行当初も、この病気はゲイやバイセクシャルの間で流行する感染症として患者が差別されたり、予防対策が遅れたりする事態になりました。

 その後、エイズは誰もが感染しうる病気であることが明らかになっています。サル痘も現時点では同様な集団がハイリスクとされており、それがこの集団への差別や病気への偏見、対策の遅延を招くことになりかねません。それ故に、WHOはサル痘を「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」と宣言し、世界の人々が協力して対応していく方針を打ち出したのです。

 新型コロナもサル痘もWHOの緊急事態宣言が発令された感染症ですが、その意味合いは少し異なります。ただ、いずれも人類共通の敵となる感染症であり、私たちは一丸となって対峙(たいじ)していくことが必要なのです。(了)


濱田篤郎 特任教授

濱田篤郎 特任教授

 濱田 篤郎 (はまだ あつお) 氏

 東京医科大学病院渡航者医療センター特任教授。1981年東京慈恵会医科大学卒業後、米国Case Western Reserve大学留学。東京慈恵会医科大学で熱帯医学教室講師を経て、2004年に海外勤務健康管理センターの所長代理。10年7月より東京医科大学病院渡航者医療センター教授。21年4月より現職。渡航医学に精通し、海外渡航者の健康や感染症史に関する著書多数。新著は「パンデミックを生き抜く 中世ペストに学ぶ新型コロナ対策」(朝日新聞出版)。

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