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(第7回) 米ハワイで循環器開業医に 日本と異なる働き方
米国での修行生活が9年目に入った1995年、三角氏は進むべき道を模索していた。「米国の専門医資格を取ったのだから、日本に帰る前に…
悪性リンパ腫「ステージ4」でもツアー決行 ジャズドラマー・大隅寿男さん
大隅寿男さんは、その世界では知らない人はいないジャズドラマーの第一人者です。私は大隅さんのドラムを聴くたび、本当に元気をもらえるの…
(第5回) 周囲に助けられた修行時代 保育園探しに奔走したことも
千葉県柏市の公園で娘たちとお花見。子育て真っただ中 長女出産の後、対馬ルリ子氏は保育園探しに奔走した。「公立保育園には、区役所に何度…
(第6回) 心臓カテーテルの難関究める ロータブレーターで世界トップクラス
「目の前で胸が痛いと苦しんでいる患者さんが、メスを入れず一瞬にして治る。それがカテーテル治療のすごさ」と三角氏は話す。 カテーテル…
第6回 CTを撮りたがる医師
「風邪でクリニックにかかったらお会計が7000円もした」僕の友達A子さんが風邪をひいたときの話である。幼少期からかかりつけだった医師が年…
(第4回) 「女性は無理」を押し切って産婦人科へ 「大丈夫。ぜひ」と東大病院に
医師としての専門分野を決める際、女性を助ける仕事をするための選択肢として、産婦人科、精神科、小児科、公衆衛生の母子保健などが頭に浮…
放射線教育の充実目指す 大野和子・京都医療科学大教授
大野和子先生とは2017年の核医学会でお目にかかり、放射線教育に力を入れておられることを知り、非常に興味を持ちました。これまで放射線に…
(第5回) 研修で人種差別経験 実力とタフさで乗り切る
「米国で実力をつけたい」。三角氏は思いを実現させるため、学位論文の研究テーマを「無症候若年者の冠動脈病変について」に決めると、教授…
松山英樹と稀勢の里、それぞれの基準 インフルエンザ大流行に通じる「心理」
米男子ゴルフのフェニックス・オープンで、アーノルド・パーマー以来となる大会史上2人目の3連覇を狙った松山英樹選手が、左手親指を痛め…
(第1回)見えない医療業界の現実 機能分化、山積する課題
2016年6月聖路加国際病院への中央労働基準監督署の立ち入り調査は、病院を取りまく医療業界関係者にとって、ひとごととは思えない大き…
(第3回) 女性の自立を目指して バンドなど課外活動にも熱
大学ではロックバンドのキーボード。バンドのメンバーと撮影 弘前大学医学部に入学し、対馬ルリ子氏はすぐに「まずいことになった」と思った…
(第4回) 米国研修で心臓カテーテル 循環器に進路変更、再渡航狙う
三角氏は小学2年でリウマチ熱にかかったことをきっかけに、医師への道を志した。このため専門は小児科と決めていたが、医学部6年時に米国…
物忘れと認知症
物忘れがひどくなって「自分は認知症じゃないか」と心配する方が多いですね。また、外来で認知症のご家族を持つ方からご相談を受けることも…
「今楽しい」を続ければ認知症患者は変わる 吉田勝明・横浜相原病院院長
認知症のご家族を抱える方から相談を受けることがしばしばです。とても大変で生活が成り立たない、家族の介護で自分の仕事が十分にできない…
(第2回) 花の東京浪人生活 同級の女生徒とルームシェア
21歳の時、お正月に晴れ着姿で写真撮影をした 「周りのみんなが地元の国立狙いなのに、私はさっさと八戸を離れて東京に出て遊びたい、東京…
(第3回) 趣味の将棋で「考える力」 東京でカルチャーショック
上京してからはカルチャーショックの連続だった。下宿先の朝ご飯で納豆を初めて見たときの衝撃は忘れられない。「ネバネバして、そんなにに…
(第1回) 生き別れになった双子の妹 30年間、別々の人生歩む
対馬ルリ子氏 対馬ルリ子氏は1958年、弘前大学医学部講師の父と専業主婦の母の長女として誕生した。父は対馬氏が4歳の時、大学のあっ…
(第2回) 「縁ある所に行くもんだ」 運命変えた受験、上京へ
医学部に行くなら地元の大阪大学と決めていた。幼稚園から高校までの一貫校で友達が多く、入院した小児科の医師の出身大学でもあったからだ…
医師のインフルエンザ対策
インフルエンザが猛威をふるい始めています。外来受診するインフルエンザ患者さんが増えつつある状況ですが、ちまたではインフルエンザがは…
(最終回)仕事から趣味へ、シフトも全力=人生のリベンジ、幕下りるまで
2018年には70歳を迎える。引退の言葉が上山氏の頭をよぎるのは事実だ。しかし、視力は2.0で老眼もない。多くの外科医が視力の低下…
(第1回) にわか仕立ての名前「和雄」 つらい入院、夢のきっかけに
「母は僕を産んだ瞬間、男の子だと分かって目の前が真っ暗になったそうです」。三角和雄氏は、1957年大阪市で祖父の経営するプラスチ…
(第18回)敵は病気、犠牲は覚悟=新たな手術への信念
「完璧な手術は今まで一度もしたことがありません」。脳外科医として多くの命を救ってきた上山氏はそう話す。命が助かり後遺症もなく、患者…
第5回 「先生や。楽に死ねる方法はないかね」
「先生や。楽に死ねる方法はないかね」病院で実習していると高い頻度でこのような言葉に出合う。ほとんどはご高齢の方による冗談だが、癌(が…
(最終回)教育は「夢実現のツール」 =本物から学ぶ機会、学生に
2年前、向井千秋氏は東京理科大学の副学長に就任した。しかし、名誉職に収まって少しはゆとりのある生活にシフトチェンジしたのでは、とい…
(第17回)「患者集めに有利」と出演=病気との闘い、手段選ばず
テレビ東京の情報番組「主治医が見つかる診療所」(毎週月曜夜8時)に、上山氏はコメンテーターとしてレギュラー出演している。医師とし…