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(最終回)教育は「夢実現のツール」 =本物から学ぶ機会、学生に
2年前、向井千秋氏は東京理科大学の副学長に就任した。しかし、名誉職に収まって少しはゆとりのある生活にシフトチェンジしたのでは、とい…
(第17回)「患者集めに有利」と出演=病気との闘い、手段選ばず
テレビ東京の情報番組「主治医が見つかる診療所」(毎週月曜夜8時)に、上山氏はコメンテーターとしてレギュラー出演している。医師とし…
(第11回)宇宙飛行に見る加齢変化 =究極の予防医学、病気にも可能性
スペースシャトル「ディスカバリー」のデッキ内で小休止する向井千秋さん(1998年11月撮影)。米航空宇宙局(NASA)提供【AFP=時事】 2度…
(第16回)両親と確執も、最期はみとる=家庭は円満、リタイア後の夢も
父親は20年前、母親は10年前にそれぞれ他界した。両親との確執は消えることはなかったというが、2人を最後に引き取ったのは上山氏夫婦…
へたれたら「私はスーパーウーマン!」と声に出して言ってみる 内山眞幸・東京慈恵会医科大教授
2017年10月初め、横浜で第57回日本核医学会学術総会が開かれました。核医学会は、核医学に従事する放射線科医や臨床医の他に、工学薬学の研…
(第10回)「重力」は不思議な世界 =本のページめくれることに感動
宇宙体験の面白さをより実感できたのは、むしろ地球に帰還した後のことだった。地上に降りると、向井千秋氏は急に頭の重みが感じられるよう…
(第15回)開頭手術の剃毛やめる=患者目線、常識を疑え
札幌禎心会病院(札幌市)で2017年4月下旬の朝、脳動脈瘤(りゅう)の手術が行われた。手術台には髪の長い女性。執刀医がていねいにく…
(第9回)シャトルでの実験、分刻み =宇宙メダカ、話題さらう
向井千秋さんの乗ったスペースシャトル「コロンビア」(1994年7月、米国ケネディ宇宙センター) 宇宙から見た地球の青さに感動したり、…
(第14回)若手医師、札幌に集結=「匠の技」伝える
2012年4月、63歳で旭川赤十字病院から札幌禎心会病院に拠点を移した。脳疾患研究所と優秀な脳神経外科医を育てる「上山博康脳神経…
被災地へ「ふるさと納税」のススメ
以前復興の仕事をしていた陸前高田市を今年も4度訪れることができました。本稿では、同市の2017年時点における復興の進展状況と、ふるさと…
社員が幸せなら生産性が上がる
11月25日、慶大日吉キャンパスで第6回日本ポジティブサイコロジー医学会学術集会が開かれました。「ヘルスコミュニケーション」でもご紹介…
(第8回)9年待ち42歳で宇宙へ =研究者と面談、投票促す
米スペースシャトル「エンデバー」に乗り込むため点検棟を出発する宇宙飛行士、毛利衛さん(1992年9月、米フロリダ州のケネディ宇宙センター…
第4回 献血
「献血にご協力お願いします!」街中でこのような呼び掛けをしている人を一度は見たことがあると思う。僕も呼び掛けボランティアの一人であり…
(第13回)手術失敗も「放映を」=1年後、確認できた奇跡
上山氏の手術は、テレビ番組のスーパードクターの特集で何度となく紹介された。そんな中、テレビ局が取材したものの、すぐに放映されずに一…
(第7回)シャトル爆発に衝撃、戸惑いも =34歳で結婚、夫が全面支援
NASAが公表した米スペースシャトル「チャレンジャー」事故の写真。右側の固体燃料ブースターロケットの下方から異常な炎が出ている(ア…
(第12回)戦う相手、人から病気に=最後のとりで、患者に「大丈夫」
旭川赤十字病院(北海道旭川市)に異動したとき、上山氏は外科医として脂の乗り切った44歳。その後20年が「本物の医療の壮絶な戦いだっ…
(第6回)宇宙飛行士、宝くじのつもりで =病院当直明けに募集記事
当直明けの向井千秋氏が、病院でコーヒーを飲みながら新聞を開くと、日本人宇宙飛行士募集の記事が偶然目に留まった。「え? こういう時代…
海外で失業、50代から再出発 栗崎由子さん
1984年、男女雇用機会均等法が成立する1年前、私は東京の青山で女性のための健康相談や定期健診のためのクリニックを立ち上げました。診療…
「喪失」 鏑木 蓮
「東京ダモイ」で第52回江戸川乱歩賞(2006年)を受賞した鏑木蓮の「喪失」が文庫化されました。鏑木蓮の作品は、推理小説でありながら心理…
(第11回)戦力外、旭川に=手術の腕で「上」目指す
手術室で起きたことは血管障害チームの全員が知っていた。チームリーダーの上山氏が血相を変えて患者の個室に向かうので、部下一同がどう…
肺がんと闘う 患者NPO代表 長谷川一男さん
今年(2017年)10月、横浜で日本肺癌(がん)学会と世界肺癌学会が同時開催されました。肺がんは私の専門ではありませんが、がんのサバイバ…
(第5回)石原裕次郎の受け持ち医に =大スターにも身構えず
医師になって4年目を迎え、向井千秋氏は心臓外科のレジデントとしてめまぐるしい日々を送っていた。1981年4月の日曜日の朝。その日は…
(第10回)手術で患者が死亡=土下座し謝罪
北海道大学医学部の筆頭講師になった時、上山氏の人生を変える出来事があった。当時37歳。誰よりも手術がうまいと「慢心」していたが、術…
(第4回)心臓外科へ、気負いなく =職業意識で迷い吹っ切れる
慶応大医学部の卒業を控え、向井千秋氏は患者を総合的に診察できる専門分野に進もうと思っていたが、その後迷いが生じた。6年生の時、大学…
第3回 眠たそうにしているお医者さんには診られたくないよ
「わしは眠たそうにしているお医者さんには診られたくないよ」仲良くなった患者さんに「どんな医師には診られたくないか」と質問した際、こ…