林光俊 医師 (はやしみつとし)

杏林大学医学部付属病院

東京都三鷹市新川6-20-2

  • 整形外科

整形外科 外科

専門

バレーボール、テニス、アメリカンフットボール、トライアスロン、スキー、サッカー等におけるスポーツ障害

林光俊

整形外科医としてスポーツ外来を担当する傍ら、スポーツドクターとしてスポーツ現場でトップアスリートの傷害治療と予防、リハビリ、コンディション調整を行なっている。1989年より全日本男子バレーボールのチームドクターを担当して以来24年間にわたり選手の医療サポートを行ってきた。オリンピックはバルセロナ大会、北京大会に帯同し、2012年のロンドン大会は自身のオリンピック6度目の挑戦であった。手術一辺倒ではなくスポーツ選手のアキレス腱断裂でも保存的治療を行なっている。

診療内容

バレーボールの場合、障害で多くみられるのはジャンパー膝、半月板損傷、足関節靱帯損傷、肩関節障害、腰痛などで、とくにナショナルチームのメンバーは長年にわたる厳しい練習によって障害を抱えている選手も多く、選手生活はケガとの闘いといっても過言ではない。試合が続けばその疲労によってコンディションも低下する。さらにチーム戦であるバレーボールではケガなどで1人が欠けても戦力が著しく低下してしまう。そのため、林医師は障害の防止に尽力してきた。スポーツ装具(サポーター)の開発もその一つである。
1992年のバルセロナオリンピックでは、正セッターが練習中に重度の足首の捻挫を起こしてチームから離脱せざるを得なくなり、チームづくりに支障を来すということがあった。そのため、当時の大古誠司全日本監督はそれ以降、足首の捻挫予防のために装具(サポーター)の着用、もしくはテーピングによる足首の保護、固定を義務づけた。試合復帰の際も、足首に装具を着用することで不安感が払拭されるなどのメリットがある。このサポーター使用は林医師の指導のもとに行われ、現在のスポーツにおける装具着用の基礎を形づくっている。当時はスポーツ用のサポーターがなく、医療用のものを改良して使ったという。以来、国内ばかりか外国でも足首サポーターが普及し、捻挫の予防・治療目的で活用されている。アキレス腱断裂もその9割が運動時に発生する障害でバレーボール、バドミントン、テニス、剣道の選手が約6割を占める。バレーボールではレシーブ時に前のボールを取りに行こうと蹴った瞬間に断裂するケースが多い。治療は手術療法と保存療法(非手術)があるが、林医師は断裂した腱を整復するために膝下からのギプス固定を行う保存療法によってオリンピック選手を完全復帰させることに成功している。受傷直後は足関節最大底屈位(50度以上)で固定し、受傷後3週目で足関節約30度底屈位の固定に変更、5週目から足関節軽度底屈位でヒール付きギプス固定として全荷重歩行を行う。受傷7週より約1ヶ月間は短下肢装具を使用し、足関節の自動運動訓練を開始。受傷11週目で装具をはずして本格的なリハビリを開始し、復帰を目指すというプロセスである。(参照→)
ジャンプや着地動作を頻繁に行うスポーツに多く見られるのがジャンパー膝で、バレーボールナショナルチームのメディカルチェックでは108名中35名が痛みを訴え、罹患率は32.4%に及んだという。オーバーユースに起因するが、とくに成長期の長身選手は骨の急激な成長により、相対的筋短縮(筋肉の硬化)状態を招き、末梢の膝蓋骨周辺に微細損傷を引き起こす。治療法は大腿四頭筋、腸腰筋のストレッチでとくに股関節の十分なストレッチが有効である。(参照→)。痛む部位は練習後にアイシングを徹底するが、疼痛が強い場合は月単位で運動を休止し、その間、ストレッチングを行い下肢の筋肉のバランスを改善する。サポーター装具をつけることで再発を防止する。また、林医師は長年にわたり全日本男女選手のメディカルチェックを行ってきて、選手1人当たり平均2箇所以上の障害を抱えるなどトップレベル選手の障害発生率が非常に高く、さらにはその障害が中学生時代から継続しているケースが多いことを指摘。子どもの頃からスポーツ障害の予防と治療の必要性を痛感し、一般の父母向けに講演を行うなど啓蒙活動にも熱心に取り組んでいる。子どものスポーツ障害の大半は成長期に見られる「骨端症」(骨の両端にある骨端線とよばれる成長軟骨が損傷する)が占める。そのほか、成長期特有のものとして骨の成長に筋肉などが追いつかず、ひざの下が痛くなるオスグッド病のほか、腰椎分離症やジャンパー膝なども10代の男子に多い。
いずれも早期発見、早期治療が重要であるとし、林医師は骨が成長しているときに激しい運動をすると体が硬くなって障害を起こしやすくなるので、全身の柔軟性のチェックと年1回の運動器検診を勧めている。
全日本のバレーボールのチームドクターとして、ここ一番でいかに選手の運動能力を最大限に引き出すかに全力を傾ける。指の脱臼なども、通常ならば数週間かかるところを、あらゆる手を尽くして数日で復帰させたこともある。選手が人生をかけて試合に臨んでいる以上、チームドクターとして持てる力を最大限に発揮してその選手の努力に報いるのが責務と言う。医師として、ときには選手とチームに厳しい決断を下さなければならないこともあるが、選手とともに苦労や喜びを共に分かち合うことができることが最大の喜びという。治療した選手が復帰して再び活躍する姿を見ることは感無量である。選手のスポーツ人生が実りあるものであることを願い、そのための尽力は惜しまない。

医師プロフィール

1988年 杏林大学大学院医学研究科卒業、医学博士取得、杏林大学医学部整形外科非常勤講師、スポーツ外来担当(現在に至る)、元東京学芸大学健康スポーツ科学科非常勤講師
1989年 全日本男子バレーボールチームドクター、日本トライアスロン連合ナショナルチーム強化委員、 日本オリンピック委員会強化スタッフ
1992年 バルセロナオリンピックのバレーボール男子チームドクターとして帯同
1994、1998、2002、2006、2010年 バレーボール世界選手権チームドクター
1995、1999、2003、2007、2011 年 バレーボールワールドカップチームドクター
1996年 アトランタオリンピック世界最終予選大会に帯同
1997年 MLBサンディエゴパドレス及びNFLサンディエゴチャージャーズにゲストドクターとして20試合に帯同。
2000年 シドニーオリンピック世界最終予選大会に帯同
2001~2002年 全日本テニス選手権大会トーナメントドクター、全国中学生テニス選手権大会帯同ドクター
2004年 アテネオリンピック世界最終予選大会に帯同
2008年 北京オリンピックのバレーボール男子チームドクターとして帯同
2011年 日本オリンピック委員会強化スタッフ(医・科学スタッフ)、日本バレーボール協会強化事業本部メディカル委員会委員長
2012年 ロンドンオリンピック世界最終予選大会に帯同

「スポーツ整形外科」を専門とする医師