連載・コラム一覧
難手術に挑む「匠の手」―上山博康氏
症例数日本一の脳神経外科医
脳の血管にこぶができる動脈瘤(りゅう)は破裂すると、くも膜下出血を起こして死に至る危険性の高い病気だ。しかし穿通枝(せんつうし)と呼ばれる細い血管が絡みついて癒着していることが多く、損傷すれば重篤な機能障害につながるため、手術は難しいといわれることが少なくない。札幌禎心会病院(札幌市東区)の脳疾患研究所所長、上山博康(かみやま・ひろやす)氏はこうした難しい手術で、累計約2万5千の日本一の症例数を誇る。その技術は「匠(たくみ)の手」と称され、手術器具も自ら開発。中でも顕微鏡手術などで使われるマイクロハサミは、日本の脳外科医の8割が使用するとされる。
69歳の今でも、年間手術数は300例を超える。頭の中にいつ破裂するか分からない爆弾を抱え、不安な毎日を過ごす患者が全国から救いを求めて札幌まで足を運ぶ。さらに「上山博康脳神経外科塾」を主宰し、後進の育成に取り組むほか、テレビのコメンテーターとしてレギュラー出演するなど、寝る間も惜しんで活動を続ける。「毎日が戦争。負けたくないから、僕は力尽きるまで頑張ります」と話す。その原動力はどこにあるのか。生い立ちにさかのぼって探っていきたい。
上山博康(かみやま ひろやす) 1948年青森県生まれ。73年北海道大学医学部卒業後、同大脳神経外科に入局、関連施設で研修後、80年秋田県立脳血管研究センター、85年北海道大学医学部助手、86年講師、92年旭川赤十字病院脳神経外科部長、2012年4月より社会医療法人禎心会脳疾患研究所所長。
日本女性初の宇宙飛行士―向井千秋氏
宇宙から教育現場へ
向井千秋氏がスペースシャトル・コロンビア号に搭乗した1994年7月、多くの人が宇宙からのテレビ中継を見守った。日本人女性初、心臓外科医から宇宙飛行士への転身というバックグラウンドも大きな話題になり、今でもその姿は鮮明に人々の心に残っている。98年には2度目の宇宙飛行で、医師としての経験を生かした数々の実験を行った。あれから二十数年。仕事場を宇宙から地上に移しても、宇宙医学の研究、後進の指導にと活躍を続け、その勢いは衰える兆しもない。現在は東京理科大学の特任副学長として、国際化、女性活躍推進などに携わり、独自の教育プログラムを開発し、陣頭指揮を執る。「私が医者になれたのも、宇宙飛行士になれたのも教育のおかげ。だから私は教育のパワーを本当に信じているの。最近の学生は発想も豊かだし、自由で肩の力が抜けている。日本の未来も決して暗くないと思いますね」と目を輝かせる。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
向井 千秋氏(むかい・ちあき) 1952年群馬県生まれ。77年慶応大医学部卒、同大卒の女性として初の心臓外科医に。85年、日本人女性初の宇宙飛行士に選出。86年向井万起男氏と結婚。88年医学博士。94年7月スペースシャトル・コロンビア号、98年10月ディスカバリー号に搭乗。2000年慶応大医学部外科学客員教授、04年国際宇宙大客員教授。07年宇宙航空研究開発機構有人宇宙技術部宇宙医学生物学研究室長、14年日本学術会議副会長、15年富士通社外取締役、東京理科大副学長、16年東京理科大特任副学長。
角膜治療の第一人者―坪田一男氏
「ごきげんだから、うまくいく」
慶応大医学部眼科学教室教授の坪田一男氏は、角膜治療の第一人者だ。角膜移植のための独自のアイバンク創設、再生医療を臨床応用した角膜移植術、屈折矯正手術(レーシック)、ドライアイの研究、近視の予防、抗加齢医学など、眼科領域における数々の最先端技術の導入に取り組んできた。
角膜移植を受けたい人がいるのに、角膜が足りない―。それならば自分たちでアイバンクを創ろう、と動き出す。資金調達やマンパワーの確保も考えると、途方に暮れるほどの仕事に見えるが、医師仲間だけで解決できない問題が生ずれば、必要なサポートを求めてどんどんネットワークを広げていった。
前例にとらわれずに新しいことを始めようとすれば、必ず抵抗に遭う。困難が立ちはだかったときには、「患者に役立つのかどうか。患者に喜んでもらえるかどうか」という基本に立ち返り、行動してきた。発想の基本には『ごきげんだから、うまくいく』という信念がある。「自分たちが最初から楽しんでいれば、環境がどうであれ、どんどん進んでいくことができる。うまくいくからごきげんなのではなく、ごきげんだからうまくいく」。その極意とは?
人工股関節手術の第一人者―石部基実氏
患者からの厚い信頼
股関節の痛みに苦しんでいる人は推計500万人に上る。股関節は人体で最も大きな関節であり、上半身と下半身をつなぐ要の役割を果たす。そこが痛くなると、普通に歩くことも苦痛になり、次第に外出がおっくうになって家にこもりがちになる。医療機関を受診しても、適切な治療を受けられないまま、痛みに耐えて暮らす人が多いのが現状だ。人工股関節手術の第一人者である石部基実氏(59歳)の下には、国内各地だけでなく海外からも股関節の痛みを抱えた患者が殺到する。悪くなった股関節をチタン製の人工股関節に交換すると、すぐに長年の痛みから解放される。傷が小さく負担の少ない手術法を採用することで、入院期間も10日程度と短い。手術を受けた多くの患者がクリニックのホームページに自らの写真とメールアドレスを公開して体験を語るなど、高い満足度を得ている。
欧米式のユニークな開業スタイルにも注目が集まる。人工股関節手術に特化したクリニックでありながら、手術室も入院設備もない。クリニックでは術前、術後の診察だけを行い、提携する病院に石部氏とクリニックの看護師が出かけていって手術を行い、患者はその病院に入院する。回診も石部氏が自ら行う。人工股関節手術だけで昨年1年間で642件と国内有数の実績を持つ。その成功の秘訣(ひけつ)はどこにあるのか、札幌市の大通り公園近くのビル10階にあるクリニックに石部氏を訪ねた。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
石部基実(いしべ・もとみ)
1957年10月、東京都生まれ。1982年、北海道大医学部卒。同大整形外科に入局、1989年、米ロチェスター大留学、1994年、NTT札幌病院整形外科(現・NTT東日本札幌病院)医長、2006年、同院人工関節センター長。2008年3月、人工股関節手術を専門とする石部基実クリニック(札幌市)を開業。人工股関節手術だけで年間600件以上と国内有数の症例数を持つ。
天皇陛下の執刀医―天野篤氏
「なぜ医師を目指したのか」 =天皇陛下の執刀医―天野篤氏
生前退位の意向をにじませた天皇陛下の「お気持ち」表明は、国民の多くに驚きを持って受け止められたが、全く別の意味で衝撃を受けた人がいた。陛下が4年前、冠動脈バイパス手術を受けられた際、執刀医を務めた順天堂大学医学部付属順天堂医院院長(心臓血管外科学講座教授)の天野篤氏だ。
ビデオメッセージの形で公表された「お気持ち」について、「最初は手術をしたことが相当マイナスだったのかな」と考え落ち込みましたと言う天野氏。しかし、お言葉をよく聞いてみると「全国いろいろな所へ行って国民と触れ合えたというようなことを述べられていて、(手術成功が)少しはお役に立てたのかも」と思い直したという。
高校時代、父親の病気が深刻になり医師の道を志すようになった天野氏。医学部受験に3度失敗し紆余(うよ)曲折もあったが、今ではトップランナーとして走り続ける。「陛下が常に国民を思い、国民のために祈ってこられたように、自分自身も患者さんサイドで考え努力しよう、もっとやらなければと思うようになりました」と決意を新たにした。
手術数はこれまで7200例を超える。61歳の今もなぜ医療現場の前線に立ち続けるのか、その思いや生き方を少年時代までさかのぼって探っていく。(ジャーナリスト・中山あゆみ)
*注意*
記事の執筆、公開当時は天皇陛下でした。2019年5月1日に上皇になられました。記事の性格上、本文中は天皇陛下としてあります。
天野 篤氏(あまの・あつし)1955年10月、埼玉県蓮田市生まれ。83年日本大医学部卒。新東京病院心臓血管外科部長、昭和大横浜市北部病院循環器センター長・教授、順天堂大医学部心臓血管外科教授などを経て、2016年に同大医学部付属順天堂医院長。冠動脈バイパス手術の第一人者で、12年2月には、東京大との合同チームの一員として天皇陛下の心臓手術を行った。