連載・コラム一覧
研修医こーたの出来たてクリニック
筆者プロフィル
渡邉昂汰氏(わたなべ・こーた)
初期研修医および名古屋市立大学公衆衛生教室研究員。「健康な人がより健康に」をモットーにさまざまな活動をしているが、当の本人は雨の日の頭痛に悩まされている。将来は地域医療に従事する予定。
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コロナ禍のスキンケア=手洗い、マスクによる肌のトラブル対策
手洗い・マスク着用の仕方アドバイス
新型コロナウイルスの患者の世界的な増加に歯止めがかからず、日本でも感染の「第3波」が本格化している。予防対策の基本が手指の消毒とマスク着用であることには変わらないが、正しいやり方をしないと手の荒れや顔の肌のトラブルを招き、日常生活に影響する恐れもある。皮膚科の専門医の野村有子さんに、消毒とマスクに関するスキンケアについてアドバイスしてもらう。
野村有子(のむら・ゆうこ) 1961年岩手県生まれ。慶応義塾大医学部卒。同大助手などを経て、98年に野村皮膚科医院を開業。さまざまな皮膚疾患を治療し、スキンケアのきめ細かな指導を行う。雑誌やテレビなどの取材も受け、啓発活動に積極的に取り組む。
知ってる?総合診療科
何を診る診療科なの?
「総合診療科」という名前を見ることが珍しくなくなってきました。しかし、どのような患者を診る診療科なのか、まだまだ十分に理解されていない、分かりにくい存在だと思います。
現在の医療が専門化、細分化した中で、特定の疾患や臓器に限定することなく、多角的に診断、診療を行う部門と言えます。患者が置かれた環境、成育歴、家族関係を含めた全体像を把握し、全人的な視点で病気を考えるのも特徴の一つ。全人的な視点で病気を考える「家庭医」とも言えます。
今後、重要性が増す総合診療科の現状や役割を東京医科大学臨床教授の平山陽示氏らが詳しく解説します。
よくわかる乳がん最新事情
東京慈恵会医科大の現場から
女性のがん患者で最も多い乳がん。食生活や生活習慣の変化を背景に患者が増え、一生の間に11人に1人が発症する時代になりました。特に40代以降に目立ちますが、20代でかかる人もいます。仕事で働いたり、家庭で子育てしたりしながら闘病している女性も珍しくありません。
しかし、乳がんは5年生存率が比較的高いがんで、治療も日進月歩。治療の基本は手術、薬物療法、放射線療法で、遺伝子レベルでがんの発症・増殖メカニズムの解明が進んだ結果、薬物療法で従来型の抗がん剤に加え、ホルモン療法薬や分子標的療法薬の選択肢も広がっています。
だからこそ、民間療法に惑わされることなく、学会の診療ガイドラインなどが安全性と有効性を認めた標準的な治療方法を知る重要性も増しています。今回の連載は、東京慈恵会医科大学(東京都港区)の附属病院でチーム医療に当たる医師たちが交代で執筆します。乳がんに関する正しい知識と最新情報を得て、理解していただければ幸いです。(了)
依存症と向き合う
久里浜医療センターの「今」
「カジノを含む統合型リゾート実施法」が成立、また多くの著名芸能人が違法薬物使用容疑で昨年逮捕されました。こうした影響もあって、ギャンブル依存症や薬物依存症が注目を集めていますが、古くから知られるアルコールのほかゲームへの依存も深刻化しています。
そんな依存症全般にわたる治療、臨床研究、教育研修など高度専門医療を提供している久里浜医療センター(神奈川県横須賀市)の専門医らが「依存症の今」を分かりやすく解説します。
女子選手のヘルスケアを考える
「Female Athlete Conference 2020」リポート
女性アスリートの健康を守り、その活躍を支えたいと、日本産科婦人科学会や日本スポーツ協会など5団体でつくる一般社団法人女性アスリート健康支援委員会は健康問題に関する正しい知識と対処法を広める活動を展開している。今年度も2月1日、東京都内で学校の養護教諭や部活の指導者、産婦人科医らを対象にした集会を開き、約320人が集まった。その内容をの4回に分けて報告する。
■「Female Athlete Conference 2020~女子選手のヘルスケアを考える~」■
◇主催 女性アスリート健康支援委員会(共催・時事通信社)
◇開催日 2020年2月1日
◇会場 東京都千代田区の御茶ノ水ソラシティ
【プログラム】
◆開会あいさつ 川原貴・女性アスリート健康支援委員会会長
安達知子・女性アスリート健康支援委員会副会長
◆女性アスリートの医学的諸問題
①「月経周期とコンディショニング」
鈴木なつ未(国立スポーツ科学センター スポーツ研究部)
②「女性アスリート貧血の原因と対策」
川原貴会長
③「スポーツ外傷・障害における性差」
武冨修治(東大医学部付属病院 整形外科教室)
◆月経随伴症状と対策
①「月経随伴症状とは」
中村寛江(東大医学部付属病院 女性アスリート外来)
②「月経随伴症の治療」
百枝幹雄(聖路加国際病院副院長)
③「競技現場における月経対策の事例」
ヨーコ・ゼッターランド(日本スポーツ協会常務理事)
◆女性アスリートの三主徴の予防と治療
①「女性アスリートの三主徴からRED―Sへ」
能瀬さやか(東大医学部付属病院 女性アスリート外来)
②「利用可能エネルギー不足改善に向けての栄養指導」
小清水孝子(大妻女子大教授)
③「摂食障害の早期発見に向けて」
関口邦子(国立スポーツ科学センター スポーツメディカルセンター)
患者会は「今」
病と闘う人たちの声
がんや難病などの疾患とどのように向き合い、生活していけばよいのか-。多くの患者やその家族にとって、医師や看護師から受ける説明で治療や生活上の不安が全て払しょくされるわけではない。
悩みや懸念の解消に向けた交流、相互支援を行っている患者会は、医療現場や制度の改善に向けて見落としてはいけない、治療を受ける側の視点を持つ。そうした患者会の素顔を紹介する。
緩和ケアが延ばす命
病や老いとうまく付き合う
緩和ケアと聞くと、末期のがん患者を対象につらい症状を和らげることをイメージする人が多いと思います。しかし、つらさには身体的な痛みだけでなく、精神的・社会的・スピリチュアルな側面もあります。これらが互いに絡み合っているつらさを和らげ、病気とうまく折り合えるように支援するのが緩和ケアです。
早い段階から苦しみを和らげ、予防し、クオリティー・オブ・ライフ(QPL)を改善すると、死亡リスクが低下して生存期間が延びるとの研究結果も示されています。
病や老いとうまく付き合える社会の構築にもつながる緩和ケア。早期からの緩和ケア専業外来クリニックを開業した緩和医療医の大滝秀一氏がさまざまな最新トピックを紹介します。
「食」の要注意サイン、ありませんか
中高生のスポーツ女子が健康を守るための基礎知識2
成長期の中高生は食事から必要なエネルギーと栄養素をきちんととる必要があります。ところが、スポーツ女子の場合、「強くなりたい」と考え、体重や体形を気にして食事がおろそかになったり、運動量に食事量が追いつかなかったりする選手が珍しくありません。「ご飯を食べない」といった食行動の乱れも目立ちます。
食べること自体に罪悪感を持つ「拒食」状態になったり、その反動で「無茶食い」を止められなくなったりしたら、「摂食障害」と呼ばれる病気で、心身にさまざまな問題が生じます。大切なのは日頃から運動と食事のバランスに注意し、体をエネルギー不足にしないこと。それが貧血や無月経、骨粗しょう症などの予防や改善にも直結します。栄養学が専門の小清水孝子・大妻女子大教授と精神科医の西園マーハ文・明治学院大教授に、「食」の要注意サインを聞きました。(5回連載)
小清水 孝子先生(こしみず・たかこ) 日本女子体育大大学院スポーツ科学専攻修了。国立スポーツ科学センター研究員などを務め、新体操や自転車のナショナルチームの栄養サポートにも携わる。2015年から母校の大妻女子大教授。公認スポーツ栄養士。
西園マーハ文先生(にしぞのまーは・あや) 九州大学医学部卒。英国への留学経験もある精神科医で、東京都精神医学総合研究所勤務、白梅学園大教授などを経て、2019年4月から明治学院大教授。摂食障害の専門家で、一般社団法人日本摂食障害協会理事。
高知大医学部「家庭医道場」
体験から学ぶ地域医療
高知大学医学部家庭医療学講座(阿波谷俊英教授)は、学問や知識ではなく、肌で感じながら地域医療を学ぶ「家庭医道場」を2007年から年2回主催している。
この道場を目的に入学を希望する学生もいるという人気で、阿波谷教授は「まず人々の暮らしがあり、その次に医療がある。地域を愛することが医療人としての第一歩になる」と話す。
5月下旬、高知県東部の馬路村で開かれた1泊2日の道場に密着。40人の医師・看護師を目指す学生が、村人と触れ合いながら真剣に学び、将来について語り合う姿を追った。
きちんと治そう、アトピー性皮膚炎
皮膚科専門医が教える治療とケアの最新知識
皮膚に「かゆみ」のある湿疹が生じ、慢性化するアトピー性皮膚炎。以前は「原因不明の奇妙な皮膚の病気」「アレルギーだから治らない」「体質だから仕方がない」などと言われていましたが、現在は違います。この数年で治療方法は飛躍的に進歩し、基礎研究も進んで病態も解明されつつあります。
皮膚科の専門医として診療経験の豊富な野村皮膚科医院(横浜市)の野村有子院長が最新の知見を交え、アトピー性皮膚炎の原因、治療やケアの方法、日常生活の心得などを分かりやすく解説します。
野村 有子氏(のむら・ゆうこ) 1961年岩手県生まれ。慶応義塾大医学部卒。同大助手などを経て、98年に野村皮膚科医院を開業。さまざまな皮膚疾患を治療し、スキンケアのきめ細かな指導を行う。雑誌やテレビなどの取材も受け、啓発活動に積極的に取り組む。(了)
AIに活路、横須賀共済病院の「今」
働き方改革が急務
1日1700人の外来患者が訪れ、三浦半島で中核病院の役割を担う「横須賀共済病院」は、カルテの音声入力などに人工知能(AI)を活用した病院業務の効率化を進めている。救急を全て受け入れるなど多忙を極める医療現場の負担を減らし、働き方改革にもつなげるのが狙いだ。AIの導入、病院改革の道筋を探った。
「がん専門医」の「がん手術」体験記
自身でエコー検査、腫瘍を発見
東大病院で34年間、放射線治療や緩和ケアの診療に携わってきたがん専門医の中川恵一准教授は、文部科学省の「がん教育」の在り方に関する検討会委員などの公職も務めてきました。その中川准教授が自身で膀胱(ぼうこう)のエコー検査をして腫瘍を発見。まさに、青天のへきれきだったと言います。その後に受けた手術の一部始終を体験記です。
月経の悩み、ありませんか
中高生のスポーツ女子が健康を守るための基礎知識
思春期になると、男女とも体に変化が現れ、大人の姿に近づいていきます。女子の場合、初めての月経(初経)を迎える時期は個人差が大きいものの、平均で12歳。それから1~2年たち、月経がほぼ毎月、安定して来るようになります。
15歳になっても初経が来なかったり、月経が3カ月以上止まる「無月経」が続いたりすると、医学的には要注意サイン。スポーツを頑張っている中高生の場合、トレーニングのしすぎや食事による栄養が足りないために、体に必要なエネルギーが不足している恐れがあり、放っておくと健康を損ない、その影響がさまざまな形で尾を引くことがあります。
つらい月経痛などの症状も、産婦人科の先生に相談した方がよい場合があります。聖路加国際病院副院長の産婦人科医、百枝幹雄先生に、健康のバロメーターである月経に関する基礎知識と、スポーツ女子にとっての望ましい対応を聞きました。(3回連載)
百枝 幹雄(ももえだ・みきお) 1984年東大医学部卒。米国の国立衛生研究所に留学した経験もある産婦人科医で、2010年から聖路加国際病院(東京都中央区)女性診療部長を務め、12年から副院長を兼務。日本産科婦人科学会や日本スポーツ協会など5団体でつくる「女性アスリート健康支援委員会」の理事として、女性アスリートの健康を守るための活動に取り組む。
医学生こーたのひよっ子クリニック
筆者プロフィル
名古屋の医学部に通う6年生。「健康な人がより健康に」をモットーにさまざまな活動をしているが、当の本人は雨の日の頭痛に悩まされている。最近はまっていることは、Instagramで美味しそうなご飯屋さんを見つけること。
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熊本総合病院の軌跡と奇跡
つぶれる病院「No.1」から起死回生
熊本総合病院は1948年に病床数100床の健康保険八代総合病院として開設。2000年には14診療科、344病床にまで拡大した。その後、経営が悪化して次々に医師が辞め、患者数は減少の一途をたどり、熊本県内のつぶれる病院ナンバーワンとまでささやかれた。
06年に病院長に就任した島田信也氏は徹底的な改革を断行し、グループトップの黒字病院に生まれ変わった。新病院は地域のランドマーク的な存在になり、街の活性化にも一役買っている。
その軌跡を辿り、奇跡の要因を探る。
五輪の扉開いた心技体の成長
選手から指導者へ、続く柔の道―福見友子さん
女子柔道48キロ級の全日本で4度、世界選手権でも1度女王になり、ロンドン五輪に出場した福見友子さん。国内で無敵を誇った谷亮子選手を日本人で唯一2度破ったことでも記憶に残る。階級制競技につきものの体重調整に取り組みながら、どのように試行錯誤を重ね、心技体を磨いていったか。指導者の道を歩み、どう選手と向き合っているのか。成長の軌跡を振り返ってもらった。(3回連載)
福見友子さん(ふくみ・ともこ) 1985年、茨城県土浦市生まれ。8歳の時に地元の道場で柔道を始め、中学生から48キロ級の選手として活躍。土浦日大高校2年だった16歳の時と、筑波大4年の21歳の時に、五輪金メダリストの谷亮子選手を破った。
2009年、世界選手権に初出場して初優勝。12年のロンドン五輪には、浅見八瑠奈選手らライバルを制して代表に選ばれ、金メダルを目指し、準決勝で敗れて5位。現在はJR東日本女子柔道部ヘッドコーチで、全日本女子ナショナルチームコーチも務める。結婚、出産して1児の母でもある。
失敗から学んだ女子指導の鍵
元全日本監督、柳本晶一さんのチーム管理術
1964年東京五輪で優勝するなど日本のお家芸といわれた女子バレーボール。90年代から苦戦が目立ち始め、2002年世界選手権で13位と惨敗したが、そんな苦難の時代に監督を任され再建に挑んだのが柳本晶一さんだった。若手を大胆に登用し、ベテランの選手心理を巧みに読みながらのチームづくりは高く評価された。女性スタッフの力も積極的に活用したアイデアマンに、チーム管理術などを聞いた。(3回連載)
柳本 晶一氏(やなぎもと・しょういち) 1951年、大阪市生まれ。大商大付属高を卒業し、70年代にバレーボール日本リーグの新日鉄でセッターとして活躍。76年モントリオール五輪4位。新日鉄やタイの男子ナショナルチーム、日新製鋼で監督を務めたほか、97年から指揮を執った女子の東洋紡でチームを初優勝に導く。
2003年にどん底の状態だった全日本女子の監督を引き受け、04年アテネ五輪と08年北京五輪でともに5位に食い込む。現在、一般社団法人アスリートネットワーク理事長。
思春期の運動性無月経を考える
シンポジウム報告~正しい知識で未来を創る~
女性特有の月経困難症や無月経、摂食障害、貧血などの症状に悩むアスリートは少なくない。トップレベルの選手だけでなく、国内レベルの競技者や中学、高校の運動部レベルの選手にも、正しい医学的知識を広めることが、生涯の健康を守るためにも大切だ。
日本産科婦人科学会や日本スポーツ協会など5団体でつくる一般社団法人女性アスリート健康支援委員会は東京都内で「思春期の運動性無月経を考える」をテーマにシンポジウム(時事通信社共催)を開催した。その内容を2回に分けて報告するとともに、特別講演した山内武・大阪学院大教授へのインタビューを紹介する。
■「思春期の運動性無月経を考える~正しい知識で未来を創る~」■
◇開催日 2018年12月22日
◇会場 東京大学医学部教育研究棟 14階「鉄門記念講堂」
◇プログラム
・主催者あいさつ 川原貴・女性アスリート健康支援委員会会長
・特別講演 「オリンピックメダリストの指導者が語る軽量化戦略の影」
山内武・大阪学院大教授
・シンポジウム
座長 ヨーコ・ゼッターランド・日本スポーツ協会常務理事
「産婦人科の立場から」百枝幹雄・聖路加国際病院副院長
「栄養学の立場から」 小清水孝子・大妻女子大教授
「精神科の立場から」 西園マーハ文・白梅学園大教授
スケートに懸けた青春、月経の悩みは
母になった吉井小百合さんが伝えたいこと
スピードスケート女子短距離のトップ選手としてトリノ、バンクーバーと2大会連続で五輪に出場した吉井小百合さん。2度目の五輪では500メートルで5位入賞を果たし、爽やかな笑顔が印象に残る。現役を引退し、2児の母となった今、次代の選手たちにどうしても伝えたいのは、世界を舞台に戦いながら、月経痛など女性特有の健康問題に悩み、克服した経験だ。青春を懸けた競技生活を振り返りながら、体験談を語った。(3回連載)
吉井 小百合さん(よしい・さゆり) 1984年、長野県茅野市生まれ。東海大三高(現東海大諏訪高)1年でインターハイの500メートル、1000メートルに優勝し、3年で全日本ジュニア総合優勝。2003年、実業団の強豪・三協精機(現日本電産サンキョー)に入社し、500メートルで世界ジュニア新記録を樹立。06年に21歳でトリノ五輪に出場した。
07年に1000メートルで1分14秒40の日本記録を樹立し、09年には1分14秒05と記録を更新。10年の世界スプリント選手権では日本人2人目の総合2位。25歳で迎えたバンクーバー五輪では500メートルで5位に入賞し、1000メートルは15位。ワールドカップ(W杯)通算2勝。現役引退後の12年春に結婚、2児の母になり、女性アスリート健康支援委員会のサポーターを務める。
「海に挑むヨットマン 」 白石康次郎 海洋冒険家
水平線の向こう見たい=冒険家の情熱と生きざま
2016年、最も過酷な単独世界一周ヨットレースといわれる「ヴァンデ・グローヴ」にアジア人として初出場を果たした海洋冒険家がいる。白石康次郎さんだ。「水平線の向こうに何があるのかを見てみたい」という夢を持ち、高校在学中、単独世界一周ヨットレースで優勝した故多田雄幸さんに弟子入り。1994年、26歳でヨットによる単独無寄港無補給世界一周の史上最年少記録(当時)を樹立した。
2006年、単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」クラスⅠで歴史的快挙となる第2位を達成。2008年、フランスの双胴船「ギターナ13」号にクルーとして乗船し、サンフランシスコ―横浜間の世界最速横断記録を更新するなどヨットレースや他のアドベンチャーレースでも輝かしい成績を積み上げてきた。その明るいキャラクターゆえにファンが多い白石さんに、冒険家の生きざまを聞いた。
白石さんは、1967年5月8日に東京都に生まれ、小さい頃は神奈川県鎌倉市で育った。同県立三崎水産高等学校卒業。子どもや親子を対象とした自然体験プログラム「リビエラ海洋塾」の開催などを通して、次世代に自然の尊さや夢を伝える活動も積極的に行っている。
諦めない心、体と向き合うプロ意識
ヨーコ・ゼッターランドさんが母と米国に学んだこと
米国でスウェーデン人の父と日本人の母の間に生まれ、バレーボール選手としてジュニア時代から将来を嘱望されたヨーコ・ゼッターランドさん。早稲田大学卒業を機に、米国籍を選択して米代表チームに入り、1992年バルセロナ、96年アトランタと2大会連続で五輪に出場、バルセロナ大会では銅メダルに輝いた。日本に戻ってバレーを続け、30歳で現役を引退。現在は日本スポーツ協会常務理事で、協会の女性スポーツ委員会委員長も務める。米代表当時の忘れられない思い出や、スポーツと健康に対する考えなどを聞いた。(3回連載)
ヨーコ・ゼッターランドさん 1969年、米サンフランシスコ生まれ。日本名は堀江陽子。母と共に6歳で日本に移り住み、中学、高校時代からバレーボールの全国大会や世界ジュニア選手権で活躍。早稲田大学時代は関東大学リーグ6部から2部にチームを押し上げた。91年に単身渡米し、米代表チームのトライアウトに合格。92年バルセロナ五輪で銅メダル、96年アトランタ五輪では7位に入賞した。
日本に戻り、ダイエーオレンジアタッカーズとプロ契約を結んでチームのVリーグ優勝などに貢献。99年の引退後はスポーツキャスターや日本バスケットボールリーグ理事を務めるなど、バレー以外の分野にも活躍の場を広げた。現在、日本スポーツ協会常務理事。2020年の東京オリンピック・パラリンピックにも組織委員会理事として関わる。
バセドウ病と泳げる喜びと
「バタフライの申し子」星奈津美さん、試練もプラスに
競泳女子200メートルバタフライで世界選手権に優勝し、オリンピックという大舞台にも3大会連続で出場、2大会連続の銅メダルという輝かしい成績を残した星奈津美選手。その競技人生は、バセドウ病という持病抜きには語れない。幼いころから水泳が大好きだった星さんは、発症した高校生以降も家族やコーチ、医師らのサポートを得て治療や手術を受けながら、泳げる喜びを胸に試練を力に変え、トップスイマーとしての高みを目指し続けた。引退して新たな人生をスタートしている星さんに、競技者としての苦闘と歓喜を振り返ってもらった。(3回連載)
星奈津美さん(ほし・なつみ) 1990年生まれ。埼玉県出身。200メートルバタフライを得意種目とし、春日部共栄高校1年と2年の時にインターハイを連覇。2008年の北京五輪でオリンピック初出場を果たし、10位に入った。早稲田大学に進み、11年に2分6秒05の日本新をマーク、12年には2分4秒69まで記録を伸ばし、同年のロンドン五輪で銅メダルを取った。15年には世界選手権史上初めての日本人女王に輝き、競技生活の集大成となった16年リオデジャネイロ五輪で2大会連続の銅メダルを獲得した。
現在は水泳教室や講演、スポーツ解説などの仕事に取り組む。女性アスリート健康支援委員会サポーター。
女子マラソンの夜明けを駆け抜けて
増田明美さんが伝える挫折と成長の経験
女子マラソン草創期の1980年代、増田明美さんは高校生ランナーとして、すい星のように登場した。この競技が初めてオリンピックの正式種目になった84年ロサンゼルス五輪の日本代表に選ばれ、20歳で出場したものの、途中棄権。心身の不調から復活して競技を続け、28歳で引退したが、そのラストランを疲労骨折で棄権する無念も味わった。大きな喜びの先に待っていた挫折の体験をばねに、今はスポーツジャーナリストの仕事を中心に幅広く活躍する増田さんに、競技人生と健康の問題を聞いた。(3回連載)
増田 明美さん(ますだ・あけみ)1964年千葉県生まれ。成田高校3年生の時、トラックの3000メートル、5000メートル、1万メートルやロードの長距離種目で次々と日本記録を塗り替え、初マラソンでも日本最高記録を樹立。川崎製鉄千葉入社後の83年、2時間30分30秒まで記録を伸ばした。84年のロス五輪の女子マラソンに、佐々木七恵選手と共に、日本代表として出場。NECに所属していた92年、大阪国際女子マラソンを最後に現役を終えた。引退するまでの13年間に日本最高を12回、世界最高を2回更新した。
スポーツジャーナリストに転身し、執筆活動やマラソン中継の解説に携わるほか、テレビ番組などのナレーションなどでも活躍。日本パラ陸上競技連盟会長。大阪芸術大学教授。